テレビ、ラジオ、動画配信も含めてあらゆる番組の脚本・台本を書いている放送作家が700人以上集結する日本放送作家協会がお送りするリレーエッセイ。ヒット番組を書きまくっている売れっ子作家、放送業界の歩く生き字引のような重鎮作家、今後の活躍が期待される新人作家と顔ぶれも多彩、得意ジャンルもドラマ、ドキュメンタリー、情報、バラエティ、お笑いなどなど多様性に富んで、放送媒体に留まらず、映画、演劇、小説、作詞……と活躍のフィールドも果てしなく!
それだけに、同じ職業とは思えないマネーライフも十人十色! ただ、崖っぷちから這い上がる力は、共通してタダもんじゃないぞと。この生きにくい受難の時代にひょうひょうと生き抜く放送作家たちの処世術は、きっとみなさんのお役に立つかも~!
連載第4回は「サラリーマンNEO」など、人気バラエティ番組をたくさん手掛けてきた放送作家・内村宏幸さん。
放送作家の仕事は、原稿を書くだけにあらず……
放送作家と言われる人たちは、基本的には、私を含めほとんどがフリーランスという一匹狼のスタイルで働いています。かっこよく言うと、「群れるのが嫌い」という事になるのでしょうが、その実は、協調性や社交性というものが極端に欠けていて組織で働く資質がないという理由からその道を選んだ、という人がほとんどではないでしょうか。
〝作家〟という名称からか、先生のような偉い立場を想像するかもしれませんが、マネージャーや弟子などが付いている訳でもなく、仕事にまつわるあらゆる事は1人でこなさなければなりません。
仕事関連の連絡は、休日昼夜問わず携帯電話や個人のメールアドレスにダイレクトで来るし、依頼された仕事のスケジュールも自分で組み立てて管理しなければならなりません。
そして、無事に仕事を終えたら請求書の作成と送付、年度末が近づいてくると、領収書の整理や確定申告などの煩雑な作業もすべて己の力でやりきらなきゃいけないのです。日々の仕事もやりつつなので、その時期は毎年憂鬱でなりません。
時に誰かの手を無性に借りたくなるときがあります。特に、ギャラ交渉の時は、マネージャー的な存在の人に間に入って欲しいと常に思います。
たとえば1本テレビの仕事をすると、放送が無事に終わってからようやくギャラの話になります。欧米なら、まずギャラを決めてきちんとした契約書を交わしてから仕事に取りかかるのが普通だと思いますが、ここ日本では、ことテレビ業界においては、21世紀になった今も、ギャラの話を持ち出すと「お金の話ばかりして」という風潮が未だにあるので困ったものです。
勇気を奮って交渉したら……
放送の2、3日後に番組のプロデューサーから連絡が来るのですが、「どうもお疲れ様でした」という労いの言葉があって視聴率の結果や放送後の反響などたわいもない話がしばらく続いたあと、「で、ギャラなんですが」と、明らかにトーンが変わった口調で切り出されます。
こっちも軽く身構えますが、その次には、決まって卑怯な先制パンチがきます。「ちょっと今回予算が少なくてですねえ〜」、こちらとしては「知らんがな!」と言いたいところですが、そのパンチをくらったら、もう何も強い事は言えなくなります。そして必ず「次回はもう少し努力しますから」と、さも言い慣れたセリフが続き、こちらが「わかりました」と締めて電話を切る、というのがいつもの流れです。
それでも、これまで1度だけ、いわゆる“交渉”をした事があります。その時の仕事の量と拘束時間にどう考えても見合わないという思いが強く湧き上がり、勇気を振り絞ってかけ合ってみました。自分としては粘り強く言った方かもしれません。こちらの熱意が伝わったのか、結果少し上乗せしてもらう事が出来ました。
とは言え、後にも先にもその時だけです。でも、その時に決めた事があります。「自分を安く売るのはやめよう」、そう固く心に誓いました。今もそれを自分の中の指針にしています。フリーランスというひとり身で生きて抜いて行くためには、自分の中にそういう信念みたいなものが1つは必要ではないかと思うのです。
次回は脚本家の荒井修子さんへ、バトンタッチ!
一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイズ」などさまざまな事業の運営を担う。