宮古市で建設が進む巨大防潮堤(写真:Nicolas Datiche/アフロ)

 コロナが世界に蔓延した2020年春、欧州でロックダウンする国や都市が相次いだ。日本では緊急事態宣言が出された。いずれも経済活動を止めたことにより大変な負担を国民に強いたが、欧米と日本では決定的に違っていたことがある。

 それは、過去の記録に基づいた行動かどうかという点だ。欧州は、6世紀から200年続いたユスティニアヌスのペスト、14世紀から300年続いた黒死病、20世紀初頭のスペイン風邪と、過去三度の大きな伝染病についての記録が膨大にある。しかも、それは感染症学者、歴史学者、宗教学者などが長年研究を重ねてきたため、現在に生きる人類が参考にできる研究結果が豊富だ。

 一方、日本では日本書紀に伝染病が流行ったことが書かれているほか、神社などに地元での災害などの記録があるが、病気や災害がどこに起きて、何人が死んだかなど、詳細な記録がない、または有効活用できる体制にない。東日本大震災の後、東京工業大学が宮城県の沿岸部全域と岩手県の一部にある215神社の配置から災害を避けるために住める場所を考察する研究を行っているが、要するに伝承以上のものがないのだ。

 東日本大震災の時も、またその後の復興プロジェクトでも、この違いが大きな問題として東北の被災地を覆ってきた。例えば、新想定での防波堤が、別の想定の津波で壊れると住民に衝撃を与えた朝日新聞の記事は、他のインターネットメディアも取り上げられたが、そこには何が問題の核心かが書かれていない。

 東日本大震災から幾度となく繰り返された「想定外」とは何を意味するのだろうか。