日本は桜の国である。国花の規定はないが、「日本」と言えば桜であることに誰も疑問をもたない。
小学校に入学する「子供」は「日本」を背負う宝で外国の子供ではない。もちろん大人でもない。
さすれば、小学校の入学問題は日本の「原点」に返ることが大切である。
そもそも、9月問題は「外国」の大学入学や就職への連続性、日本の大学や雇用の容易性として東京大学が持ち出した大人社会の問題であった。
コロナ問題がかぶさり社会変革の契機であるとはいえ、大人社会の問題と子供社会の問題には画然とした差異があり、それを無視して垂直的に小学入学の話しになるのはあまりの飛躍ではないだろうか。
子供社会の議論は、どのような「日本人」に育てるかである。
他方、大人社会の議論は日本の国家・社会との関わりとともに、国際化の時代に相応しく外国との関わりも強く意識したものとなる。
ラフカディオ・ハーンの警告
小学校で必要なことは、「日本人」としての自覚の育成であろう。
ラフカディオ・ハーン(日本名・小泉八雲)は、小さいときからの外国語教育は「外国人」育成になり日本人を育てることにはならないからやめた方がいいと語っている。
外国を転々として日本を終の棲家にした、しかも日本の神話などに題材をとった物語を多く書き残したハーンの言葉には重みがある。
日本の識者の多くも外国語は日本語を十分に取得した後でよいと述べている。
ハーンが来日した当時、西洋化が国を挙げての方向であったので外国語熱も盛んで、小さい時から外国語を学ばせるべきだという議論が持ち上がっていた。その現状をハーンは鋭く批判したわけである。