今年の元日に写した中野サンプラザ(筆者撮影)

(尾藤 克之:コラムニスト、明治大学サービス創新研究所研究員)

 筆者は、中野区で生まれ育った「中野っ子」として中野駅周辺の再開発計画、特にサンプラザの存続について関心を持っていました。2020年1月6日付にて、中野区議会全会派に「中野サンプラザ解体に関する公開質問状」を送付しました。最終的に、「自由民主党議員団」「立憲民主党・無所属議員団」「公明党議員団」「日本共産党議員団」「都民ファーストの会中野区議団」「育児支援と防災緑地と平らな歩道の中野を創る会」の全6会派から回答を得ました。

 本稿では、「(質問1)サンプラザは解体すべきですか、それとも解体せずに残すべきですか?」。この質問について各会派がどのように回答したか解説し核心に迫っていきます。

解体の是非、区議会各会派はどう考える?

 各会派の回答は次のとおりです

 以下に、6会派の回答を修正せずに紹介します。各会派の見解そのものを紹介したほうが正しく理解できるためです。なお、「育児支援と防災緑地と平らな歩道の中野を創る会」のみ、直接面接取材なので、筆者が感じたことを記しています。

「自由民主党議員団」 取りまとめは、加藤たくま区議。
「建物自体を解体(壊す)べきである」というのは我が会派の長年にわたる主張です。2002年には特殊法人等のあり方が問われる中、独立行政法人雇用・能力開発機構が所有し、財団法人勤労者福祉振興財団が運営していた中野サンプラザについて、区に譲渡についての打診がありました。交渉の結果、当時の中野サンプラザ土地・建物の評価額の半額の約53億円で譲渡されることになりましたが、条件として①取得後、10年間の公共性のある運営の継続②中野サンプラザに勤務している職員の雇用の継続となりました。
 半額での譲渡のため、50億円以上の含み益がありましたが、神山好一区長(1986−2002年)時代に区の貯金は100億円を下回っており、中野区単独で資金調達することが困難でした。そのため地元民間企業等のグループと所有会社を作り、中野サンプラザの経営権を2004年に持つことになりました。そして紆余曲折があり、のちに中野区が所有会社の100%の株の取得をし、完全主導の運営となりました。
 当時の議会において一部の会派は財政が厳しい中において、中野サンプラザの譲渡を受けるべきではないとの反対意見もありました。しかしここまで無理してでも中野サンプラザの土地・建物の取得に尽力したのは、まちづくりを進めるためです。
 区のHP(中野サンプラザ取得・運営等事業について)にも記載されておりますが、「区は民間企業グループとの共同出資による第3セクター・株式会社まちづくり中野21(所有会社)を設立し、同社が平成16年11月に中野サンプラザを取得しました。
 取得後10年間は、まちの賑わいに役立つよう中野サンプラザの運営を行い、その後は、区の整備方針に沿って再整備を行い、中野駅周辺のまちづくりの推進に役立てることとしました。」が、中野サンプラザの位置づけです。取得時からずっと中野サンプラザは、まちづくりのための種地として考えてきました。だからこそ、中野サンプラザ所有会社の株式会社まちづくり中野21の名前にその想いが込められているわけです。