イランがホルムズ海峡で拿捕した英国のタンカー(2019年7月21日、提供:Morteza Akhoundi/ISNA/新華社/アフロ)

(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)

 米軍が空爆でイラン革命防衛隊の精鋭部隊のソレイマニ司令官を殺害した事件に対するイランの報復は、今のところ限定的な規模にとどまっている。アメリカのトランプ大統領もその報復はしないと表明し、事態は一段落しそうだが、楽観はできない。

 気になるのは、イラク議会が米軍の撤退を求める決議をしたのに対して、イラク駐留米軍のシーリー司令官がイラク陸軍の幹部に「数日から数週間のうちに軍を再配置する」という書簡を送ったことだ。これについてエスパー国防長官は「草稿を誤って送付した」としたが、それは単純ミスなのだろうか。米軍はイラク撤退を検討しているのではないか。

石油危機で高度成長は終わった

 日本にとって気になるのは、ホルムズ海峡の原油輸送である。イランはこれまでにもたびたびホルムズ海峡の封鎖を示唆してきた。日本に輸入される原油の87%はホルムズ海峡を通過しており、それが封鎖されると、日本経済は大きな打撃を受ける。

 1973年10月の石油危機では、第4次中東戦争で原油の供給が一部停止され、石油輸出機構(OPEC)は1バレル3ドルだった原油価格を、年末には11.65ドルまで引き上げた。

 それまで原油価格は国際石油資本(メジャーズ)が支配し、数ドル程度に抑えられていた。戦後の世界経済を支えたのは、この低価格の原油を使った重工業だったが、それは石油危機で大きな転換を強いられた。

 日本でも高度成長期には京浜工業地帯に代表される重化学工業が成長の中心だったが、石油危機で「重厚長大」の製造業は日本から撤退した。1974年の実質GDP成長率は戦後初めてマイナスとなり、それまで平均10%近かった成長率は大きく下方屈折した。石油危機によってエネルギー多消費型の高度成長は終わったのだ。

 実は原油価格そのものの影響は大きくなかった。原油価格は4倍になったが、その消費者物価指数に占める比重は数%である。ところがトイレットペーパーの買い占めなどのパニックが起こって、物価は2年間で45%も上がる「狂乱物価」が起こった。