冬の東京大学

 12月6日、大学入試の1次試験で数学や国語に導入が検討されていた記述式テストが、どうやら「延期」される見通しがつきつつある、との報道が流れました。

 与党公明党からの要請に文科相が「重く受け止める」と応じるなど、どうやらこのおかしな入試システムに最終的なブレーキがかかりつつあるのが察せられます。

 さて、普段あまり強調しませんが、私も大学教員というものを20年以上続けてきました。大学教師にとって鬼門の一つは入試で、守秘すべき事柄も多く、不用意なことは口にできません。

 逆に言うなら、私たちがこの種のことに発言する際には、公開情報に準拠して徹底して「間違いのないこと」だけで論旨を構成せねばなりません。

 とりわけ私の所属する東京大学は、社会からご指摘をいただくことも多いですし、受験生の切実な心境も、かれこれ40年近く前になりますが、自身がそれに備えていた頃を思い起こして感じることが多いです。

 そのような観点から、入試の1次試験に「記述式」がどれくらいナンセンスかを東京大学の「足切り」データを例に検討してみたいと思います。

記述式1次試験の「自己崩壊」

 今回の経緯を見ていて思うのは「スケーリング」という観点の大切さです。また、それを比較的容易に人が見落としてしまう、という傾向も強く感じます。

 といっても「ピンとこない」という読者が大半と思います。そこからお話してみましょう。

 端的に言うなら、少人数では可能な「記述式試験」は、大人数では実施できないという本質的なポイントに注目する必要があります。

 スケーリングは元来物理の概念ですが、少しでも科学的にお話したいので、ちょっとした具体例から始めましょう。

 皆さん「お豆腐」って、どこまで大きく作れると思われますか?