視覚障害の95%はロービジョン

 「ロービジョン(low vision)」という言葉を聞いたことがあるだろうか。全く見えないわけではないが、さまざまな原因で視機能が低下し、眼鏡をかけても生活に支障のある視覚障害の状態を指す。原因には、緑内障や白内障、糖尿病網膜症など加齢にともなう病気が多い。視力が低下したり、視野が狭くなったりと多様な見えにくさがある。日本眼科医会の発表によると、ロービジョンの症状に悩む日本人は144万9000人に上り、多くの人が生活するうえで困難を抱えている。

現代教養学部 心理・コミュニケーション学科
コミュニケーション専攻 教授 小田 浩一 氏

これほどロービジョンに悩む日本人が多い中で、その言葉自体はほとんど知られていない。これについて、同分野の研究に取り組む東京女子大学 現代教養学部 心理・コミュニケーション学科コミュニケーション専攻の小田浩一教授は、「テレビや新聞でロービジョンの話題が取り上げられる時には、視覚障害という言葉に置き換えられてしまうことが多いのです。しかし、視覚障害というと、多くの人は白杖を持った全盲の人をイメージしがちで、ロービジョンの方がそこに含まれることを知りません。実際は、視覚障害の中で全盲の人は5%しかおらず、残り95%はロービジョンに悩む人たちなのです」と話す。

確かに、今の社会ではロービジョンの人に対する理解は進んでいない。白杖を持って歩いている人は全盲だと思う人が大半であろうし、特殊な眼鏡をかけるなど外見的な判断材料がなければロービジョンには気づかない。しかし小田教授は、ロービジョンが認知されていないことで、多くの人が悩んでいる事実を語る。

「たとえば、世の中には極端に視野が狭く、普通に歩けるほどの視野はないけれど、小さな文字なら見えるという人がいます。そのような人が白杖を持って歩く一方で、電車の中でスマートフォンを見ていたり、文庫本を読んでいたりしたらどう感じますか。ロービジョンに対する理解がないと、こうした人に違和感を覚えてしまうこともあります」と小田教授は話す。ほかにも、視野の真ん中が見えないために、斜めを向くことで視点を合わせようとするロービジョンの人もいるが、このような人の場合、“目を見て話をしない”と怒られることもあるという。

小田教授は「ロービジョンの人に対する理解が進んでいないことで、人間関係やコミュニケーションの不和に悩んでいる人が多くいます。私の研究はこうした人々の困難に向き合いながら、どのような支援が必要なのかを考えることです」と語った。

試行錯誤を重ねて、2種類のフォントを開発

 小田教授は、ロービジョンに関する研究の一環として、これまで2種類のフォント開発に取り組んできた。一つ目が「ForeFingerM」と呼ばれるもので、手で触って文字を読むことができる浮き出し文字のカタカナのフォントだ。同フォントは、ゴシック体と明朝体を組み合わせているのが特徴で、触覚だけでも100%読める文字を目指したという。

小田教授はForeFingerMについて、「1文字くらい読めなくても大丈夫だろうという発想は危険です。部屋番号、口座番号、名前など、たった1文字を読み間違うことで生活上のトラブルにつながることがあり、100%読んでもらえるフォントを目指すことが重要です」と語る。

なかでも苦労したのが、カタカナの「シ」と「ツ」、また「ソ」と「ン」の区別だという。浮き出し文字を触ってこれらの文字を認識することはとても難しく、開発過程では試行錯誤を繰り返した。その結果、小田教授は、筆の動きを表現した明朝体とゴシック体を組み合わせるデザインを考案。こうして出来上がったフォントがForeFingerMで、視覚障害者による検証でも100%読めるフォントであることを実証した。現在、同フォントは社会でも広く浸透し、多くの場所で使用されているという。

小田教授が開発した「ForeFingerM」
東京女子大学のトイレ標識などにも使用されている

小田教授が作成したもう一つのフォントは、「小春良読体(こはるりょうどくたい)」というユニバーサルデザインフォント(UDフォント)だ。同教授が「小春良読体」を開発した当時は、すでに同様のUDフォントは5〜6種類ほど出ていたが、一つひとつの文字は見やすくとも、連続する文字列にすると読みづらい点が課題であった。

そこで小田教授は、文字幅が狭く、文字間を広めにとった、色やレイアウトにも配慮した今までにないUDフォントの開発に取り組んだ。文字を縦長の形にすることで文字幅を狭くし、読みやすさを追求したのだ。小田教授は「一つひとつの文字をどのくらい縦長にすれば、視覚障害者にとって読みやすいフォントになるのか。この辺りの研究は、これまであまり行われていませんでした。しかし、私の研究では最終的に読みやすい文字の縦横比も明確にし、視覚障害者による検証で科学的なエビデンスを得ることにもこだわりました」と語る。

このUDフォントは視覚障害者の利用に留まらず、障害のない人が小さな文字を読む時にも有効だという。実際に東京女子大学では、情報量が多く文字が小さくなりがちな大学のパンフレットのページなどにも使用している。

視覚障害者だけの問題ではない

小田教授はほかにも、MNREAD(エムエヌリード)と呼ばれる読書評価チャートの日本版開発にも貢献してきた(日本版はMNREAD-J)。一般的に視力検査といえば、「C」のようなマークの切れ目を「右」「左」と答える検査が多いが、MNREADは読書の速度で読みやすい文字の大きさを測る検査方法だ。具体的には、意味のある文章を読んで、すらすら読める文字の大きさの範囲を測る。

MNREAD日本版(MNREAD-J)のチャート

「人間の生活の中で、目を凝らしてギリギリ見える文字を読む機会など、そうありません。それよりも、意味のある文章を見て、どれくらいの文字の大きさなら読めるのか、効率よく情報を得られるのか、それを測る方が有効だという考え方です。実際にやってみるとどの程度の大きさで読みづらくなるか一目瞭然で、既にロービジョンの方が通う病院などで視力検査に取り入れられています」と小田教授は語る。

このようにロービジョンに関する研究は、国内でも数としては少ないが、確実に社会で求められる研究分野だといえる。しかし、ロービジョンに対する理解度も、言葉の認知度もまだまだ低く、今後は同分野の情報発信がさらに求められる。小田教授は「視覚障害者、健常者と分けて考えるのではなく、見えにくい環境を改善していくことが結果として、私たちみんなの生活を良くするという考え方も一緒に広げていく必要がある」と語る。視覚障害者や健常者という垣根を越えて良い人間関係やコミュニケーションを築くためにも、インクルーシブな考え方を広げていくことが重要だろう。
 

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