人工知能(AI)は、哲学そのもの。
人間の認識を逆照射する人工知能

 昨今、ビジネスシーンでも哲学の重要性が増している。書店に行けば、ビジネスパーソンが手軽に読める哲学関連の書籍も多い。先の予測が難しく、変化が激しい今の時代、我々が直面する問題は複雑化・多様化しており、それらを解決するためには哲学の考え方や素養が役立つと言われている。

現代教養学部 人文学科 哲学専攻 教授
黒崎 政男 氏

そんな哲学のうちカント哲学を専門とし、人工知能などのテクノロジーを哲学的な観点から捉えようとしているのが東京女子大学 現代教養学部 人文学科哲学専攻 黒崎政男教授だ。

そもそも哲学とは何か。根源的なもの、普遍的なものを探究する学問が哲学であり、考える行為自体も哲学であるといえる。たとえば、“世界とは何か”、“人間とは何か”という問いは哲学であり、ゆえに、人工知能の研究者らが向き合う“知能とは何か”という問いも哲学だ。黒崎教授は「人工知能は先端的なテクノロジーの話だと思われがちですが、実は、哲学そのものなのです。人工知能を巡る議論は、近代哲学の論争をコンピュータにのせて具現化したもの。哲学を知ることで人工知能の進む方向性も予測できると考えています」と語る。

二十世紀半ばから始まる人工知能研究は、当初から、論理主義派(明示的プログラミング)と機械学習派(ニューラルネットワーク)の二つの流れがあった。そして最初は、合理主義に基づく前者の立場が主流だった。たとえば、人工知能がネコを認識する時、「4つ足である」「ネコ科である」など、論理的な言葉の定義づけが必要だとされていた。しかし、この前者の立場は、<フレーム問題>や<暗黙的なものを明示化する>困難などにぶち当たって思うような成果が上げられなくなった。しかし、後者の機械学習派の流れをくむ経験主義の立場が二十一世紀になって頭角を現してくる。2006年あたりから登場した深層学習(ディープラーニング)は、“ネコとは何か”の定義を知らなくても、ネコの画像を見て学習し、その経験を基にネコの概念を認識できるようになった。つまり、<論理>よりも<経験>の方がモノを認識する際には重要ではないかという考え方にシフトしたのだ。こうした人工知能の認識に関する議論は、近世哲学におけるデカルト対ロックという対立などの、哲学者が人間の認識について論じた『合理主義VS経験主義』の議論と同型であり、人工知能の世界は実は、哲学と深く呼応し、結びついているのだ。

黒崎教授は人工知能と哲学の研究について、「人工知能はそれ自体が反射板になり、人間の特性を浮かび上がらせてくれる存在です。人間はどのような能力を持っているのか、人間の直感とはどういうものかなど、この分野の研究は、“人間とは何か”という問いに新たな光をあてることだと考えています」と語った。

これまでの見方・考え方が通用しない時代へ

 黒崎教授が取り組む「人工知能を哲学的に考察する研究」とは、どのようなものなのか。

これについて黒崎教授は、人工知能とビッグデータの活用を一例に挙げた。たとえば、アメリカの警察では、人工知能が過去の犯罪データから分析した犯罪確率を元にパトロールの配置場所を決めている。しかし、人間にはなぜ人工知能がその場所を導き出したのかという因果性が分からない。

また、囲碁の人工知能「アルファ碁(Alpha Go)」もそうだ。人工知能は過去の対戦内容を分析して、何億通りものパターンから次の一手を見出すが、なぜその手を打ったのかを人間が理解することはむずかしい。

黒崎教授はこうした状況について、人間がこれまで当たり前のように捉えていた見方・考え方を変える必要性があるのではないかとし、「人間は、“こうなるには必ず理由があるはずだ”という原因と結果で世界を捉えます。しかし、ビッグデータの世界では理由は分からないけれど、人工知能の出した結果が当たることがあります。

これに対して、AIのビックデータ的知能は、因果関係が基本にないから本
当の思考ではない、と言えるでしょうか。そうではなくて、むしろ人工知能の<知能>は、因果性を使わないような一つの思考法であり、人間の<知能>とは別種の知能だ、とみなすべきです」と話す。カントは、因果性は人間特有の認識様式であり、本当に世界が因果性で成立しているかどうかは分からないと主張している。このように、人工知能だけを見るのではなく、哲学を通して人工知能を見ることでこの問題の構造の本質を捉えることができるのだ。

今の時代は人間の“当たり前”では説明できない、理解できない事象が生まれており、哲学をベースとした新たな見方・考え方が求められているといえる。黒崎教授の研究では、哲学的な観点からテクノロジーを捉えることで、人間がテクノロジーとどのように対峙していくべきかを考察している。

実用的なスキルよりも、考える力を

黒崎教授によれば、変化のスピードが速く、不透明な時代であるからこそ哲学を学ぶことが重要だ。昨今は、即戦力重視で実用的なスキルが求められているが、哲学を通して自分の力で考える力を鍛えることこそ、社会で求められている有効なスキルだという。

「これだけ激動の時代になると、社会で実用的なスキルと言われているものが、実はそうではないことがあると思います。大学生であれば、入学から卒業までの4年間で社会は大きく変化するでしょう。目先のノウハウや最先端の知識だけを大学で学ぶことに、本当に意味があるのかを考えるべきです。むしろ、“その時々の場面にどう対応するか”、“これは一体、何であるのか”など、ベーシックな洞察力や全体を俯瞰して見る力を身に付けておくべきではないでしょうか。哲学はそうした思考を鍛える学問です」と黒崎教授は語る。

黒崎教授の著書

たとえば、難民や移民の問題について。様々な原因や政治的背景が複雑に絡み合う難問であるが、哲学を学べば、この問題の根本は“寛容と不寛容”の問題であることが分かるという。「これが正解という答えはありませんが、過去の哲学者がどのように考えたのか思考のパターンを知っておくだけでも問題の捉え方は異なります」と黒崎教授は語る。こうしたスキルこそ、一番の即戦力かつ実利であり、これから最も必要になる力だといえるだろう。

今までの価値観や常識、自分なりの考えだけでは、これから先の社会には対応できない。ものごとの根本を見る洞察力や思考を鍛え、予測できない事態に対応できる能力を養うことが重要だ。
 

■特集トップページはこちら>>
<PR>