(花園 祐:中国在住ジャーナリスト)
古来、日本の都市開発では風水学が重視され、その理論に基づいた設計がなされてきました。京都や江戸を例に取ると、街の中心部から鬼門の方角に当たる北東には、それぞれ比叡山延暦寺と日光東照宮が鬼門の抑えとして設置されるなど、風水のパワーバランスを考慮した配置がなされています。
しかし現代日本において風水は、建築家のDr.コパ氏をはじめとした風水学関係者が活動をしてはいるものの、決して身近な概念とは言えません。ましてや国家規模の開発事業において、かつての京都や江戸のように風水を考慮した都市計画が行われることは皆無と言っていいでしょう。
一方、風水の発祥地で本場でもある中国では、今も「風水師」として活動する人が数多く存在し、建築分野をはじめ、その理論や思想が市民生活に深く根をおろしています。そこで今回は、現代中国における風水師たちの実態と社会への影響力などについて紹介します。
宋代にほぼ現在の形が完成
本題へ入る前に、まず風水とはそもそも何か、成り立ちとともに説明しましょう。
古代中国では、世界の成り立ちを研究、解釈する概念理論として、まず方位・天文・暦・元素といった要素の相関関係をまとめた陰陽五行説という概念が作られました。この陰陽五行説がベースとなって、その後も様々な理論が作られていきます。中でも方位や地相という概念に重きを置き、物事の吉凶を占う手段として成立したのが風水学です。