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インタビューに答えるドナルド・キーン氏(2015年12月28日撮影、写真:AP/アフロ)

(文:春名幹男)

 日本文学に偉大な貢献を為し、最後は日本人として亡くなったドナルド・キーン氏(享年96)。本当に希有な元アメリカ人だった。

 私は約20年前、一度だけ会うことができた。彼の自宅で貴重なインタビューに応じてくれた。

 その時にお借りして複写した写真が拙著『秘密のファイルーCIAの対日工作』(新潮文庫)に掲載されている。写っているのは、ポール・ブルーム氏。戦後の1948年、初代の米中央情報局(CIA)東京支局長として赴任した。吉田茂首相とも親しい伝説的なスパイだった。真珠湾攻撃前の1941年夏、米ノースカロライナ州ブルーリッジ山脈の谷あいでくつろぐブルーム氏をキーン氏が撮った写真である。

日本文学の道を選ぶよう勧めた

 2人は前年、コロンビア大学で知り合った。ブルーム氏は横浜・山手の生まれで当時BIJ(Born In Japan)と呼ばれた。フランス人民戦線のレオン・ブルム首相の遠縁で、父はフランス人、母はアメリカ人でいずれもユダヤ系だった。一家でフランスに戻ったが、ドイツ軍のパリ入城でニューヨークに逃れた。40歳を過ぎていたが、日本語を学び直そうとしていた。

 世界各地を旅していたブルーム氏はまだ18、19歳のキーン氏に自分の経験を話した。実は日本文学の道を選ぶよう勧めたのは、ブルーム氏だった。ブルーム氏との出会いが、キーン氏の転機となった。

「フランスで育ったアメリカ人はたくさんいる。日本のことをよく知っているアメリカ人は少ないので日本文学をやった方が君のためになる」と言われたという。

 この2人ともう1人のアメリカ人で日本と中国を研究していた人物、そしていわゆる「帰米2世」(米国に生まれ、中等教育を日本で受けて米国に戻った2世)の猪俣正という青年の4人で合宿中に撮ったものだった。

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