至って当たり前に思えていたことも、タイミングさえ良ければ、期待の持てる巧妙な事柄、あるいは施策のように見えてくるから不思議だ。トヨタ自動車が発表したトップ交代人事がまさにそれだった。考え抜かれたタイミングに、トヨタ流したたかさの一端を見せつけられた思いがした。
豊田章一郎名誉会長の長男、章男副社長が社長に昇格する人事が、「創業家への14年ぶりの大政奉還」であることは間違いない。しかし、その内容に全く驚きはない。大政奉還はトヨタにとって当たり前のこと。だから何年ぶりだろうと、あまり気にすべきものではない。当事者にとっては、単に「その時が来た」というだけのことだろう。
入社当時から、章男氏は将来の社長候補。通常のトヨタマンとは違う、「見えない目印」の付いていた人物だ。しかも昨年6月から国内外の販売を統括する副社長として、いよいよ事前修業の最終段階に入っていた。豊田家と関係の深い地元経済界や取引先関係者の多くは、2009年中に「章男社長誕生」が発表されると固く信じていたように思う。
お家芸! 危機バネで引き締め
2009年1月20日。その時は訪れた。
最強企業トヨタですら「100年に1度」と言われる世界的な景気後退の大波に呑み込まれ、2009年3月期(今期)決算で1500億円もの営業赤字に転落・・・。衝撃の見通しが発表されてからほぼ1カ月。その日は、2008年の世界販売台数でトヨタ(ダイハツ工業と日野自動車を含む)が念願だった首位の座を米ゼネラル・モーターズ(GM)から奪い取ることを確実にした歴史的な日でもあった。経営立て直しが急務となっているトヨタや、その影響をもろに被る地元経済にとって、そのタイミングは絶妙だった。
正式な社長交代は6月末の株主総会後になる。だから普通に考えれば、1月中の発表は早過ぎる。しかし、この難局に素早く対応するには敢えて今発表し、創業家の旗印の下、オール・トヨタの結束を強めるべきだと判断したようだ。
社長交代の記者会見。最も光の当たる場所に初めて座った創業家の御曹司は、父章一郎名誉会長がかつてよく口にしていた「変革」という言葉を散りばめながら、「現場に一番近い社長でありたい。創業の原点に回帰し、引き継ぐことは引き継ぎ、大胆に変革すべきことは勇気を持ってチャレンジする」と宣言した。
景気後退下で重荷になった生産・販売体制の見直しは「待ったなし」。こうした面で大胆に切り込む姿勢を強くにじませていたが、社内や関係企業向けの次期社長による「所信表明演説」のようにも見え、いささかそれは芝居じみていた。
これまでも危機に陥れば、むしろそれをバネにして組織を引き締め、迅速な経営の立て直しを実現してきたトヨタ。今回は創業家からお預かりしている御曹司を前面に押し出し、従来以上の引き締め効果を上げようとしたのだろう。
豊田家と長年の信頼関係にある系列の部品メーカーや販売会社の多くは、トヨタ本体の急激な業績悪化に浮き足立ったが、それも徐々に落ち着きを取り戻しつつある。もちろん一部は混乱や軋轢(あつれき)を抱えつつも、トップ人事の発表後、オール・トヨタの結束は狙い通り確実に引き締まってきているようだ。
政治の世界の話を持ち出すまでもなく、何かと評判のよろしくない世襲人事そのものであるにもかかわらず、トヨタが決断した今回のトップ人事をマスコミ各社もおおむね前向きに評価した。社説などでは、新経営陣の手腕に期待する好意的な記事を載せている。仮に平時のトップ交代なら、こうもスンナリといっただろうか。これもまた、タイミングの効用であろう。非常時の交代だったからこそ、批判をまんまと封じ込めることができたと言える。