看護師として、私は認知症の患者さんに胃ろうを造設するたびに、その意義について考えさせられる。
ある日、独居の80代の認知症患者さんが、誤嚥性肺炎を併発して入院してきた。加齢によって嚥下機能(食べ物や唾液を飲み込む機能)が落ちると、誤嚥(食べ物や唾液が誤って肺に入ること)が多くなる。時に、細菌が肺に入り込み、誤嚥性肺炎を発症する。
この患者さんは、認知機能と嚥下機能の低下によって、口から食べることが困難だった。入院中、再び食べられるようにと介入したが、効果は不十分だった。
ある時、この患者さんの内縁の妻という方が見舞いに来られた。「何としても治療して生きていたほしい」と言う。この患者さんに、血縁のある家族はいなかったが、どのような結末になるのだろう。
実際に、摂食が困難な患者さんの対応は3通りある。
1つ目は、経口摂取を継続したまま退院すること。多くはそのまま亡くなるが、訪問看護サービスによって適量の点滴を受けることもある。患者さんにとっては好ましい方法だが、家族の協力を要するため、独居の場合は難しい。
2つ目は、病院で亡くなるまで待つ。比較的長い経過となるため、急性期の病院では対応が難しい。
3つ目は、胃ろうを造設し、介護施設や慢性期の病院に移るケース。これは病院にとって都合が良い。胃ろう造設に関連した診療報酬を得られるうえ、早い退院でベッドの回転も高くなる。
内縁の妻の方は3つ目のケースを希望し、スタッフの間では「食べられないのは可哀そう」という意見が多く、胃ろうが造設された。
ところが、患者さんは「胃ろうとは何か」分からず、引いて抜こうとした。胃ろうを抜かないようにと拘束され、つなぎ服(自分で着脱できない服)を着せられた。