11月10日、神戸海上保安部に所属する海上保安官が、尖閣ビデオを「自分が流出させた」と上官に申し出た。

 投稿者が判明したところでビデオ映像が消去されるわけもなく、「泥棒を捕らえて縄をなう」のことわざを地で行く菅直人内閣に対する批判は当分続くだろう。

 私は、投稿者を「英雄」や「月光仮面」と褒めたたえる人々の意見に与するつもりはない。また、「クーデターだ」と過剰反応する鳩山由紀夫前総理に与するつもりもなく、ただ、日本社会に中国に対する警戒感と忿懣(ふんまん)が充満しつつある状況を憂慮している。

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 「毛沢東を初代皇帝として祀る中華帝国」

 いきなり前言を翻すようで申し訳ないが、4年前に、天安門広場を中心とする北京の街をマイクロバスで案内されながら、私はそんなフレーズを思い浮べた。

 おそらくは誰かの受け売りなので、13億人もの人たちが暮らす超大国をワンフレーズで語るなど、散文を旨とする小説家にとっては自殺行為としかいいようがない。

 しかし、思わずそんな感想を思い浮べてしまうほどの違和感が、21世紀初頭の北京には確かにあった。

 続いて抱いた感想は、「北京は、中国というよりも、モンゴル平原の延長だな」というもので、これは地理的な観察による。

 北京の街はひたすら平坦で、四方八方を見渡しても、どこにも山が見当たらない。木々も少なく、砂漠の外れに位置しているといった格好で、歴史的に見ても、北京は匈奴をはじめとする北方民族の侵略を幾度となく受けてきた。

 そのうち最大のものがモンゴル民族による侵略で、フビライ帝により「大都」と命名されて、モンゴル帝国の首都として整備されたことが、現在に続く北京の起源だと言っていいだろう。