「コペンハーゲン合意」草案の概要、COP15

COP15に参加した各国首脳〔AFPBB News

 COP3の開催された1997年とCOP15の開催された2009年の十余年の間に、中国は国内総生産(GDP)世界第7位から第3位への大躍進を果たしました(2010年には日本を抜いて第2位)。

 世界の大国としての地歩を固めるのに伴い、いつまでも後進国的な振る舞いや言い訳が許される状況ではなくなってきています。

 こうした命題を持ってCOP15は開催され、COP会議としては異例ながら、米国のバラク・オバマ大統領、中国の温家宝首相をはじめ、ニコラ・サルコジ仏大統領、アンゲラ・メルケル独首相、ゴードン・ブラウン英首相(当時)、鳩山由紀夫首相(当時)など各国首脳が参加して、最後の最後まで交渉が続けられました。

 しかし、結局、京都議定書に代わる新たな枠組みを作り出すことはできませんでした。

COP15交渉の舞台裏

 中国は、国内総生産(GDP)当たりのCO2排出量を2020年までに、2005年比で40~45%削減するとの自主目標を発表しCOP15に臨んだのですが、拘束力の発生する議定書の中で、数値目標をコミットすることに対しては、最後まで反対の立場を貫き通しました。

 一方の米国ですが、やはりCOP15を意識して、2020年までに2005年比でCO2排出量17%削減、2050年までに83%削減を自主目標として発表しました。

 オバマ大統領の当初の目論見は、COP15開催の前に、キャップ・アンド・トレードなどを盛り込んだ地球温暖化法案を成立させ、具体的なCO2削減政策への米国議会のお墨付きをもらったうえで、中国を含む他国に対しプレッシャーをかけ、より強い立場でCOP15交渉に臨む青写真を描いていました。

 しかしながら、長引く国内の失業問題や医療改革法案などの優先政策の問題があり、結局COP15開催前に法案化を果たせませんでした(この記事を書いている2010年11月現在、当法案の法制化は絶望視されています)。

 結局、自主目標だけのオバマ大統領は、いわば丸腰でCOP15交渉に挑まざるを得ない状況にあり、もはや他国を説得できるまでの迫力と影響力はありませんでした。

 最終的にCOP15で採択された、「コペンハーゲン合意(Copenhagen Accord)」の中身は、今後の気温上昇を2度以下に抑える努力を行うことや、先進国が発展途上国に対して、2010年から2012年の間に温室効果ガス削減対策費のサポートとして、新たに300億ドル(2兆7000億円)、さらに、2020年までに1000億ドル(9兆円)をそれぞれ拠出することを目標にするなど、国ごとの温室効果ガス削減の数値目標設定には遠く及ばず、全く具体性の欠ける内容となってしまいました。