宇宙の彼方、太陽系外で地球によく似た環境の惑星が発見され、生命存在の可能性も示唆され話題になっている。もっとも、あまりに遠方であるため、我々が「地球外生命体」と遭遇することはとてもかないそうにないが、人類の宇宙へと向かう夢は果てることはない。

宇宙開発は夢の実現ではなく政治膨張が目的だった

国立科学博物館に展示されている月の石。アポロ11号と17号で採取したものがある

 しかし、20世紀になってようやく実現した人類の宇宙への進出は、そんな純粋な夢に合体した政治的膨張主義によるところが大きく、冷戦の賜物と言えるものであった。

 宇宙空間へと進出した最初の地球上の生命体は、1957年、ソ連の人工衛星スプートニク2号に乗せられたライカという名の犬だった。核競争で先行し、戦後世界を独走しているつもりだった米国にとって、このニュースは衝撃だった。

 すぐさま米国はメリー・アンなるチンパンジーを宇宙へと送り出すことに成功したが、1961年4月、今度はソ連が人類初の宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリンを宇宙へと送り込み、「地球は青かった」なる名言まで吐かれてしまっては、米国の面子は丸潰れだった。

 翌月、アラン・シェパード飛行士を送りこみその様子をテレビ中継するという先進技術で米国の存在感を誇示したものの、万年2位では埒が明かぬと、ジョン・F・ケネディ大統領は次なる手に出ることになる。

 1960年代のうちに月まで行って無事帰還するというアポロ計画の発表である。

 当時、どれだけの人が真に受けたのか分からないが、この無謀とも思えた計画も、期限間際の1969年7月になって、何とアポロ11号が人類を乗せて月着陸に成功してしまったのだから恐れ入る。

人類の月面着陸からわずか3年後にアポロ計画は頓挫

「月面着陸をもう一度」、ネットでリアルタイム実況

アポロ11号から月面に降り立ったニール・アームストロング船長とエドウィン・オルドリン飛行士(1969年7月20日撮影)〔AFPBB News

 人類のスペースフロンティアへの記念すべき第一歩が記され、米国のそして英雄ケネディ大統領の面子が立ったわけだが、それと同時に、反戦ムードが充満し始めていた泥沼のベトナム戦争の現状から国民の目をそらす効果も大きなものだった。

 ところが、それからわずか3年後の1972年、早々とアポロ計画は頓挫してしまう。対抗馬のソ連が一向に月に行こうとする気配を見せなくなると、人類は実際に月に行ったのだろうかという疑問がわき起こるようになった。

 火星着陸をテレビの創作映像でごまかそうとするNASAの陰謀を描いた『カプリコン・1』(1977)などという映画まで登場することになる。

 実際、直前まで失敗続きだったアポロ計画が期限ぎりぎりなって予定調和的に成功したこともあって、経済的理由での中止というのには多くの人々が疑問を持った。