私が大学を卒業して朝日新聞社に「就職」したのが1986年なので、報道の仕事に就いて24年が経った。

 17年間、私は朝日新聞の社員記者だった。そのうちの4年間は、新聞の社会部や支局で「警察・検察・裁判所」の事案を扱うのが仕事だった。10年間は週刊誌「アエラ」の記者だった。こちらは記者クラブに入っていないので、同じ社内という「直近」で、新聞と取材源を観察する立ち位置になった。その後、米国への自費留学を経て2003年に朝日新聞を退社した。今はフリーランスの記者として活動している。

 こういう経歴は日本の「報道業界」の中では希少だと思う。その経験から見ると、つい先日まで報道記者が誰もその「正義」「無謬」を前提にして疑わなかった検察庁特捜部からぼろぼろ逮捕者が出ていることは、「ソ連の崩壊のようなカタストロフ的な権威崩壊」をしみじみ感じる。

 もう「検察の威信」「巨悪を眠らせない」とか言い張っても誰も相手にしないだろう。これからの日本の刑事捜査や犯罪報道は今回の「フロッピーディスク証拠偽造事件前」と「事件後」で語るのが適当と思う。

検察情報を取ってくる記者は賞賛された

 新聞記者時代、検察(検察官だけでなく、検察事務官、OBの弁護士のこともある)から出た情報は、ほぼそのまま「検察(関係者)によれば」などのクオート付きで報道して、社内では批判も叱責も受けなかった。

 もちろん、都道府県警レベルの警察情報でも、程度の差こそあれ「信憑性は高いと見なしていい」というコンセンサスが社内にあった。が、検察に至っては「検察が言っていることは限りなく事実に近い」という受け取り方を、記者、キャップ、デスク、部長など社内の誰もがしていた。

 まあ「裏取り」(2つ以上のニュースソースで情報が正確かどうか確認すること)は必要だが、シングルソースでも「検察から記事にできるような情報が取れるだけでも大したものだ」とデスク(原稿の点検役である部の次長)に賞賛されたりしたものだ。それくらい「検察情報」の価値は新聞社内で高かった。