尖閣列島を巡る中国の対日強硬策を見て「やはり」と思ったのは、ベトナムでありフィリピンであったことだろうが、それら諸国に勝るとも劣らず、インドの外交・戦略家たちだった。

中国の勢力浸透にただならぬ警戒心を抱くインド

パキスタンが核関連施設を拡張と米シンクタンク、衛星写真を公表

核関連施設を拡張するパキスタン〔AFPBB News

 米国のワシントンD.C.、スウェーデンのストックホルムで2週連続、続けてインドに関わる会議へ参加し、多くのインド人から話を聞く中で、この点に関する印象を明確にすることができた。

 インドはここ数年、東北、西北国境地帯はもとより東のバングラデシュ、西のパキスタン、そして南のスリランカならびにインド洋と、全方位から進む中国の勢力浸透に加え、何よりパキスタンに核・原子力や軍事技術を惜しみなく与えようとする北京の態度に対し、ただならぬ警戒心を抱いてきた。

 しかも緊張は、最近になればなるほど、中国側が長年の慣習や静かだった実態を一方的に破り、高めてきたとデリーは見ている。

 そんな情勢認識がもともとあるから、日本に対して高飛車に出た北京の態度に、インド人は全く驚かなかった。彼らをして驚き、かつあきれさせたのは、日本がさっさと事態収拾に動いたことの方である。

 「中国発展の第1章が終わりを告げた」。いくつか聞いた意見の中にそう述べるものがあった。「いよいよ、第2章に入ったと思わざるを得ない」、と続く。これは何を意味していただろうか。

 改革・開放路線を選んだ鄧小平はかつて、天安門事件からちょうど3カ月経った1989年9月4日に中国の対外路線を論評し、訓戒を述べたという。

リーマン崩壊で第1章が終焉を迎え、第2章に突入

天安門事件「流血への覚悟も必要」と鄧小平氏、李鵬元首相の日記で明らかに

天安門事件当時の中国の指導者たち。左から鄧小平・党軍事委員会主席、趙紫陽総書記、李鵬首相〔AFPBB News

 後にそれは「冷静観察、沈着応対、隠住陣脚、韜光養晦、善干守拙、結不当頭」の24文字だったとされた。米国国防総省の翻訳に従うと、次のようになる。

“Observe calmly; cope with affairs calmly; secure our positions; hide our capacities and bide our time; be good at maintaining a low profile; and never claim leadership”

 ことにこの最後段、「目立たぬよう努め、先頭に立つことを目指すべからず」というところは、中国指導者やインテリたちがつい最近まで、口を開くと自国の方針であるとして繰り返し強調していたものだ。

 さるインド人観察者によると、中国発展の第1章とは、この標語を題目に掲げるものだった。けれども2008年9月15日、リーマン・ブラザーズ崩壊とともに米国と西側経済が一大失調に陥ったのを契機とし、20年近く中国対外路線を規定したスローガンは、その有効性を喪失した。

 「第2章の扉をめくった中国は、もはや自分の力を隠す必要をさらさら感じない。第二線で控えていなくてはならない必然性も認めない」――と、そう看做さぬ限り、東シナ海から南シナ海、インド洋そしてヒマラヤ山脈に及ぶ全方面で攻勢に出た中国の方針転換は、諒解できないのであるという。