国家の経済や安全保障の礎である大学教育は国力の根幹だと言ってよい。大学教育はソフトパワーにもなる。ある国で高度な教育を受けた人が世界で活躍すれば、その国の好感度と影響力は大きく高まるだろう。
今、日本に必要なのは、国際競争力をつける大学教育である。国際情勢が変化すれば、その流れに追いつけるように国内の教育を改革することも求められる。
大学教育の改革はアメリカでも常に注目されている。大統領選挙で社会全体がヒートアップするこの時期には特にスポットライトを浴び、改革の是非が問われる。
大学教授の終身雇用を取りやめたウィスコンシン州
日本と同様にアメリカでも大学教育は政治問題化している。その一例がウィスコンシン州に見られる。先日まで共和党候補の1人であったスコット・ウォーカー知事は、州の財政改革の一環で大学教育予算を2億5000ドル(約300億円)削ることに成功した。
しかしこれが問題を起こしている。最近まで州法で守られていた、ウィスコンシン(公立)大学の教授の終身雇用権を取り上げたからである。
関連する問題に非常勤講師の増加がある。アメリカの大学では財政的な理由から、常勤ではなく非常勤講師を使う傾向が強まっている。例えば1975年にアメリカの大学の終身雇用(もしくは終身雇用コースに乗っている)率は57%だったが、現在は30%ほどまで下がっている。
だが大学教授の終身雇用には賛否両論がある。
賛成派は、終身雇用によって教員は財政的な安定と研究の自由を得られるため、結果として所属する機関の教育水準を高く維持できると主張する。終身雇用をやめると、財政的な安定を失った優秀な教授が別の大学に移ってしまう、と懸念する。
一方で反対派は、終身雇用があるために研究や授業の質が低下すると主張する。審査の末に終身雇用権を勝ち取った教員はその直後から会議に出なくなったり、まともな研究をしなくなったり、授業の内容も疎かになってしまうという。また、終身雇用を廃止することで大学側は不要な教員を排除しやすくなり、経営の効率化を図ることができるともいう。
ウィスコンシン大学は大学理事会が教員の雇用を守る政策を取っており、大規模な頭脳流出などの被害は防げそうである。また、この改革が他州に飛び火してアメリカ全体のトレンドになることもなさそうだ。
アメリカの大学教育の長所と短所
アメリカの教育制度には長所と短所の両方がある。将来留学を考えている人は以下の点を考慮していただきたい。
まず長所は、高度の教育・研究を受けることができる点である。多くの大学では教員が行う最先端の研究内容が授業や指導を通して学生に直接伝えられる。したがって学生は常に新しい知識を得ることができる。
また、3カ月に及ぶ夏休みを効果的に使えば、学生は補習の授業を取ったり、インターンとして社会経験を得ることもできる。それが卒業後の就職に結びつくことも珍しくない。
私が勤務するセントルイス大学のような私立大学では、授業は少人数が中心で、学部1年生の時から議論(ディスカッション)を行わせる。教員は、学生が授業のためにどれだけ準備をし、議論にどれだけ積極的に参加しているのかなどを評価する。予習をしないと授業にはついていけない。ディスカッションの評価も割合が大きい場合がある。良い成績を取るためには相当な努力が必要になるが、そのぶん力もつく。
短所を挙げるとすれば、せっかく留学をしても、卒業後に日本で就職するとアメリカの教育がプラスに評価されないケースが多いことだろう。以前と比べると状況は変わってきてはいるが、日本企業の閉鎖性は海外でも有名である。留学から帰国した学生への需要がなければ、日本社会で活躍できる機会も限られる。
また、基本的に学費が高く、学部生、特に留学生には奨学金が限られている点も短所だろう。例えばセントルイス大学の学費は、授業料、寮費、食費などを合わせて年間4万ドル(約480万円)になる。アメリカの私立大学の学費の平均は3万1000ドル(約370万円)である。今の円安が今後も続けば留学生は特にきつい。しかしそれはアメリカ人にとってもそうであり、多くの学生は卒業後、仕事をしながらこのローンの返済にあたるのである。
大統領選候補者の教育政策は?
このような背景もあり、現在、アメリカの大学教育はその価値が問われている。9月下旬にギャロップが発行した大学卒業生の世論調査によると、「大学教育は価値のあるものだった」と答えた返答者はその半分ほどしかいなかったという。学生ローンの返済に追われる卒業生は特に低い評価をしていたようだ。
大学教育の価値をどう感じるかは、卒業後の就職状況に大きく左右される。ここ最近は多少改善されたが、不況に伴い卒業しても仕事に就けない大学生がアメリカでは増えている。
事実、大学教育はアメリカで政治問題になっている。オバマ大統領はアメリカ国民全員に少なくともコミュニティカレッジ(日本では短大に相当する)に行かせるべきだと唱え、そのための財政案を出している。これは苦学生にとっては良い案だが、コミュニティカレッジは学生の卒業率が低いこともあり、教育的、経済的にどこまで効果があるのか疑問である。
大統領選挙に出馬する民主党のヒラリー・クリントン候補は選挙用のウェブサイトでも教育を大きな政策テーマとして取り上げている。「New College Compact」と呼ばれる3500億ドル(約42兆円)に上る奨学金制度を提案し、公立の4年制大学に通う学生が授業料などの費用のためにローンを組まなくてもよい制度を模索している。10年間の効力を持つこの制度が実現すれば、短大での授業は無料になり、学生ローンの免除も可能になる。
他の民主党候補も大学教育のための連邦予算を増やす案を打ち出している。クリントンのライバルであるバーニー・サンダース上院議員は、「College for All Act」という、アメリカの全ての公立大学の授業料を免除する政策を提案している。もちろん選挙前のパフォーマンスという側面はあるが、これらが実現すれば多くの大学生に財政援助を与えられる。
一方、共和党は一般的に教育問題への取り組みは積極的ではないと見られている。医師であるベン・カーソン候補は学費の無償化に反対している。またジェブ・ブッシュ候補がフロリダ知事だった時には、州立大学の学費が50%近くも上昇した。ブッシュ氏は少数派の人種に対する積極的優遇措置の政策でも問題を起こし、人種問題の火種を抱えている。
さらに、最近まで共和党候補のトップを走っていたドナルド・トランプ氏は、10年ほど前に設立した「トランプ大学」の経営問題が大きく報道され、詐欺・州法違反の疑いで責任を問われている。彼が大統領になった場合も様々な問題が起きることが予想される。
日本の教育改革でやるべきこと
日本では2015年6月に文部科学省が国立大学の部分的見直しを求める通知を発行した。文学部などの人文科学系、法学部などの社会科学系、そして教員養成系組織の改革を唱えたものだ。それに呼応する形で、関連学部を持つ国立大学の8割が何らかの見直しを予定している。
法学部の中にあることが多い政治学も「ターゲット」にされているため、この動きはアメリカの政治学コミュニティで注目されている。日本の政治学はどう変わるのか、というものである。中には「貢献度の低い学問が制限されるのは当然だろう」と皮肉る者もいる。
国際競争力を高めつつ、今後の国内社会の変化に対応するために考え抜かれた国家戦略ならば、ある程度理解ができる。しかしそれよりも重要なのは、実際に授業で何を教えるかであろう。国のエリートを育てる機関で、「何を」そして「いかに」教えるかを再考するべきである。
特に求められているのが、安全保障の教育の確立であろう。その理由は、今回の安保法制の議論で明らかになった、日本全体に広まっている盲目的な平和主義は日本の国益のためになっていないからである。
報道では、護憲派の学者の主張が大きくクローズアップされ、安全保障の専門家の主張がかき消された感がある。審議では、世界の現実に沿った、国益に基づく冷静な安全保障の議論がほとんどなされなかった。
もちろん進歩している部分もある。例えば東京大学が「解禁」した軍事研究は日本の安全保障を高めるための大切な一歩であり、これは他の公立大学も追随すべきである。一般の大学の授業でも積極的にその研究内容を学生に伝えるべきだ。
学生に国際社会の現実を教えよ
また、国際関係学が理想論に傾倒しがちなのも問題である。世界の現実を正しく捉える方法を教え、バランス感覚を取り入れるべきである。国際社会における軍事問題の大切さ、核兵器の役割、主権と国防の必要性、国際協力の限界、民軍関係なども教えるべきだ。
これらはアメリカでは広く教えられ、私の授業でも1年生の時から文献を読ませている。アメリカのシステムをそのまま取り入れるべきだとは思わないが、この点に関しては学べる部分は多い。
そして、卒業後に外国人との議論にもついていけるように、日本人の苦手なディスカッションをできるだけ学生のうちにさせておくべきである。
(本文中の意見は著者個人のものであり、必ずしもセントルイス大学の政策を反映するものではありません)