私はよく人が入っているカフェで原稿を書くことが多い。自宅の自分の部屋は静かで集中できる環境ではあるが、1人でいると今ひとつやる気が湧いてこなかったりする。
人が集まるところには人の「気」がある。その気に触れることで、やる気と集中力が湧いてくる。そういったこともあり、よく人が入っているカフェで原稿を書く。
カフェにはいろいろな人がいるが、だいたい何組かは商談や仕事の打ち合わせをしている。お互い初対面で、「はじめまして」の名刺交換に始まり、互いのビジネスの説明を始める光景もよく目にする。
観察するつもりはないが、ついついその人たちの会話の様子が目に入る。
気もそぞろな相槌はすぐ見抜かれる
お互いに「この人と何かビジネスでつながれるといいな」という期待のもと、会話をしているのだと思うが、見ているこちらが切なくなるような会話をしている組み合わせは多い。
自らのビジネスの説明は目をらんらんと輝かせて熱意のこもった説明をするのだが、相手のビジネスの説明は心ここにあらずといった状態で聞いているのだ。
そういった会話を繰り広げている以上、話が次につながる可能性は低いと思われる。心ここにあらずと書いたが、一見するとちゃんと話を聞いているように見える。
「なるほど!」「へぇ、そうなんですね!」と笑顔でうなずきながら聞いている。しかし、そういった表面的なリアクションは練習すれば意識的にコントロール可能である。ただ、無意識的に細部のリアクションに内心が出てしまう。
その最たるものが目と余韻である。
人間の臓器は基本的に皮膚で覆われているが、1つだけ例外となる臓器がある。それが目である。
目は開けている時は皮膚に覆われておらず、むき出しとなる。しかも、脳から極めて近い距離にあり、太いところは成人で1.5センチほどにもなる視神経でがっちり脳とつながっている。