できるやつ、というのがいます。
だいたいは出る釘だったりして、いろいろ打たれたり、打たれても打たれていること自体に気づかないくらいに強靭だったり、まあいろいろなケースがありますが、ともかく仕事ができるやつ、常に創造的な人、どうやってもアイデアが枯渇しない人間といった人が一部に確かにいる。
逆に、そうでない人も、まあ普通にいるわけで、特に科学技術や基礎研究に関しては、違いは歴然としています。
・・・いや、確かに歴然とした違いがあります。が、その違いが何か? と問われると、必ずしも明確に答えられるわけではない。
いったい両者の何が違うのか?「研究倫理」を考える文脈の延長で「優等生」と「地アタマ」というポイントに光を当てて考えてみたいと思います。
必ずしも優等生の地アタマが良いわけではない
東京大学で教えるようになってかれこれ16年、単に音楽家だけの生活であれば絶対に経験できなかったことがたくさんあります。その最たるものは「多数の秀才を教える」という経験でしょう。
通算すれば1000と言うより1万のオーダーに近い、きちんと勉強すれば優秀であるだろう学生たちを教えてみて、正直に思うのは「近年、初見の問題に対処できる学生が減ってきた」という傾向です。
どういうことか?
事前に「傾向と対策」をしっかり教え、真面目にそれを復習してマスターしてくる、真面目で地道な努力家は、いまも昔もいるのです。