サミュエル・P・ハンチントンは日本を一国で形づくる1つの文明圏とした。世界に知られつつある「もったいない」精神や「おもてなし」の心は日本独特だ。その基底には敬語や礼儀作法などがあるようである。

 文化庁が実施した平成25年度「国語に関する世論調査」は、敬語意識が高くなってきていることを示した。「表現が柔らかく人間関係を円滑にすることが出来る」などの理由が挙げられているが、「和」を大切にする遺伝子があるからであろう。

 しかし、戦後の日本では天皇や皇室・皇族に関わる敬語は、自虐史観などの影響から過度にぞんざいにされてきた感が強い。

敬語についての国民意識

天皇陛下が退院、皇后さまと御所へ

皇居内で菊を鑑賞される天皇陛下と皇后さま〔AFPBB News

 国語世論調査では日本人のほとんどが「今後とも敬語は必要」と思っており、20代までの人はほぼ100%となったそうである。「人と接する際、相手や場面に合わせて態度を変えようとする」と答えた若者は70%にのぼり、中高年の30%を大きく上回っている。

 こうした結果を受けて、多くの新聞が「若い世代で敬語の重要性が広く認識されていることは、極めて健全で、日本語の将来にとっても頼もしい限りだ」と賞賛する。

 必要な理由としては人間関係の円滑化や「相手を尊敬する気持ちを表わせる」などが大きいが、正しい敬語が分からず、気になると答える人が増えている。

 多くの人は職場や家庭、さらには学校の国語の授業で敬語を身に着けているが、学校はともかく、職場や家庭では間違った使い方も多いようである。

 例示すれば、(1)「お客様、どうぞ召し上がってください」と言うべきところを「お客様、どうぞいただいてください」と言ったり、(2)「先生、こちらでお待ちになってください」が、「先生、こちらでお待ちしてください」などのように使用されているという。

 ただ言葉は生きもので、「とんでもないことでございます」が本来の言い方であったのが、今では「とんでもございません」となり、あるいは本来「お客様がいらっしゃった」と言ったものが、「お客様がお見えになった」も使用の大衆化で問題ないとされている。