アメリカ空軍の戦争大学で教鞭を執り、5年目に入った。ここでは様々な経験と知見を得ることができる。その中の一つとして、部分的ではあるが日米を含む世界各国の空軍の長所や短所、類似点や違いなどをこの目で観察できることがある。
アメリカ空軍戦争大学には40を超す国々から空軍の上級将校が送られる。その中には航空自衛隊の一等空佐もおり、私が赴任して以降は私が担当するゼミに入っている。航空自衛隊とアメリカ空軍の幹部学校の間には、まだまだできることがたくさんあると思うが、ここ数年で前よりも距離が近くなってきていると感じることもある。
私は航空自衛隊の方の修士論文を指導する場合もあり、また、航空自衛隊の幹部の方が英語を使って世界各国からの代表や地元の日本人のコミュニティと交流するのをサポートする側面もある。
毎年3月に日本研修に行く際も多くを学ぶ。その一環として、米軍の大佐と中佐を十数名引率し、東アジア諸国の防衛省、外務省や軍事基地を訪れ、多くの人と交流している。もちろん、この環境から私自身が学ぶことも多い。ここ最近は慣れてきたが、最初の2年間ほどは毎日が自分自身の教育課程のようなものであった。
このような背景の中、私のような民間人が、そしてより広い一般社会が軍隊とどのような関係にあるのかという問題を考えることがしばしばある。
本稿では日本とアメリカにおいて一般社会がどのように軍隊と接しているのかを考察したい。もちろん、この種の比較は既にいろいろな所でされており、特に革命的な視点を打ち出すわけではない。しかし現在米空軍で働く人間として新たな見地を提供できるかもしれない。
また、12月19日の金曜日に国際地政学研究所が主催するワークショップで講演をする。その際に本稿の内容に関しての質問も喜んでお受けするので、興味がある方は是非参加していただきたい(お問合せはこちらから)。
アメリカ社会とアメリカ軍
社会と軍隊の関係を見るにあたって必要な知識は「民軍関係」という少し専門的な文献にあり、その中にはいくつかの重要なテーマがある。
例えばアメリカの文献に当たってみると、冷戦中と冷戦後の間に違いがあるのが分かる。冷戦中はソ連とのライバル関係、朝鮮戦争やベトナム戦争などを経てアメリカ国民と軍隊の関係が密接だった。
しかし冷戦が終わりソ連の脅威が消え去ると、国民と軍人の間の距離が広まった。つまり社会の中で軍隊に対する理解が薄まった、と読むことができる。