『ABUデジスタ・ティーンズ』に初参加することになったカンボジア国営テレビ局。担当プロデューサーの「アナウンサー」から、何をすればいいのかと相談されたのは、昨年の年末。

 その後、今年3月までの3カ月、彼女は事を進めているだろうかと気になりながら、ロボコンの開催だけで手一杯で、結局彼女に連絡することはなかった。で、その3カ月間というもの、デジスタはどうなっていたかというと・・・そのアナウンサーは「何も」やらなかった、のである。

「もう驚かない」と思っていた矢先の驚き

 実は、彼女が何もやらないであろうということは予想がついていた。なぜなら、私はロボコンをやってみて、この国営テレビ局をはじめ、カンボジアの人びとがどのように物事を進めていくのか(あるいは、進めていけないのか)が分かってきたからである。それはロボコンの時にも毎回のように、もう愚痴のごとく繰り返してきたが、次のような特性である。

1.縦割り社会で横の結びつきが希薄なので、縦割りの中以外で情報を拾い上げることができにくく、その情報を活用する術を知らない。(「『カンボジアってそういうところ』は迷路の入り口」)

2.歴史的に伝承が遮断されていて、成功体験が少ないため、経験したことがないことや、将来に対する予測、予想を立てるのが苦手である。(「どうすれば成功体験のないカンボジア人を動かせる?」)

3.そして、先週も書いたが、文字化による情報共有ができない。文字化しないということは、長期的なスケジュール管理、準備ができない。(「カンボジア流時間管理との溝をどう埋める?」)

縦割り社会のカンボジアで、初めて経験するイベントを直前まで情報共有しない状態で実現させたロボコンはトラブルの連続だった(写真提供:筆者、以下同)

 私の主観ではあるが、つまりはこういうことなのである。よって、デジスタという、彼らが経験したこともなく、上意下達でないと物事が進まない、しかも1年にわたるスケジュールを立てて、「自ら動かしていかなければならない」というようなプロジェクトを形にするのは、カンボジア人にとっては容易なことではないのだ。

 だから、ロボコンが終わった時に、彼女がものの見事に何もやっていないと聞いても、私はまったく驚かなかった。ロボコンでの経験で、そんなことはもはや想定内になったのだ。