先日、南相馬市にある市民団体が、「住民の方々に放射線についての正しい知識を持ってもらおう」と、放射線に関する小冊子を発行しました*1。
寄付金集めから校正に至るまで、様々なボランティアにより作成されたもので、どなたにでも無料で配布しているそうです。地元の方々から実際に受けた質問を元にしているため、住民の方々にとって本当に知りたいことが、素人目に見ても分かりやすく書かれています。
地元の方が、地域のためにこのような新しい試みをされることは、コミュニティーの発達と復興を象徴するような喜ばしい活動に見えます。しかしこのような活動は、必ずしも県外の方々に好意的に受け止められるわけではないようです。
「発行が決まった直後から、『被災者は被災者らしくしていろ』なんていう電話をよく受けるのよ」
と、発起人の1人からお聞きしました。「南相馬が安全だなんていう無責任なことを言うな」などという電話も毎日何十件とかかってくるようになった、とのことでした。
逆転する被害者
「でもね、これは結構難しい問題なんだよ」
長い間南相馬に支援に入っていらっしゃるK先生によれば、このような批判をされる方々の一部にはそれなりの背景があるそうです。
「例えば、今福島の外に避難している人たちからすれば、『安全な地域だから、と補助金が止められるんじゃないか』という不安もあるようだし」
さらに金銭の問題以上にK先生が心配されるのは、相双地区を「安全だ」と言うことで、現在避難されている方々が精神的に追い詰められるのではないか、ということでした。
当時情報の乏しい中で避難という選択肢を選んだ方々の中には、避難先で辛い目に遭われる方も大勢います。そのような辛い時に「相双は安全だ」という情報を聞くことで、自分たちが取った行動が間違いであった、この苦労が無駄であった、と、二重に批判されているように感じ、追い詰められてしまうのではないか、というのです。
多数決の圧力
そこには判断の正誤、という二極化の問題だけでなく、多数決という問題も存在します。葛藤の末に出した結論が「少数派」であると分かった時、あるいは周りの同意を得られなかった時、多くの人がそれを公で声に出すことができなくなってしまうのです。
例えばある小学校では、学校行事をするたびに保護者の方の対立が起きた、とのことです。