2014年4~5月、福島第一原発事故に関する取材のためにアメリカ各地を回った。今回から数回に分けて、その報告を書く。その最初は、首都ワシントンにある国立がん研究所(National Cancer Institute = NCI)に勤務する疫学者であるモーリーン・ハッチ博士のインタビューである。
私がハッチ博士の名前を知ったのは、スリーマイル島原発事故の取材で疫学調査の文献を読んでいたときだった。当時のコロンビア大学の調査チームの責任者がハッチ博士だった。博士が書いた論文を続けて読んで興味深く思ったのは、その後博士がチェルノブイリ原発事故の疫学調査にも参加していたことだ。つまりハッチ博士は、世界で3例しかない原発事故のうち2例の調査をしたことがあるという世界でもほぼただ1人の疫学者なのである。そして福島第一原発事故の疫学ワークショップのために来日したこともある。フクシマについての情報も知っている。そのハッチ博士が、福島第一原発事故の今後の健康被害についてどう見ているか、聞きたかった。
TMI事故のときはハッチ博士は「放射能汚染による健康被害を納得できる証拠は見つからなかった」と結論を出したため、被害を訴える住民たちからは不評を買った。そのため博士を、健康被害について「過小」または「楽観的」という批判も反原発派から出ている。博士をワークショップに招いたのが福島医大の疫学者グループだったことも「原発推進派」という批判を勢いづかせている。
しかし、私が注目したのは、TMI事故では「納得できる証拠がない」と結論した博士が、チェルノブイリ事故ではヨウ素と小児性甲状腺がんの関連性をはっきり認めていることだ。つまり、ハッチ博士は、証拠が見つからなければ、世論に抗してでもそう言うが、証拠があればはっきり認めるという、ある意味「ぶれない」疫学者なのではないか。
福島第一原発事故は漏れた放射性物質の量などで言えばTMIの10倍、チェルノブイリの10分の1とちょうど中間に位置する。ハッチ博士が福島第一原発事故の影響をどう評価するか、ますます知りたくなった。
先に言っておくと、フクシマの取材を3年半続けた私が聞いて「えっ」と思った学習は「放射性物質の半減期が過ぎても、環境から消えるにはずっと長くかかる」と博士が言ったことだ。「半減期が過ぎれば安全」のような誤解が、知らず知らずに住民だけでなく政府や県庁、市町村の関係者にまで広まっているからだ。