南シナ海の西沙諸島の周辺海域に中国海洋石油が石油掘削基地を設置する動きを始めたことで、中越間の関係が緊迫化している(「中国とベトナムに大規模な軍事衝突はあるのか?」参照)。
ベトナム国内では、各地で反中国の大規模なデモが発生した。報道を見る限り(19日時点)、最も過激だったのが、台湾プラスティックグループの建設現場がある北中部ハティン省のようだ。
14日朝に始まったデモは、夕方にはベトナム人約5000人の規模にまで拡大し、約1000人の中国人と対峙。深夜には終息したが、この日の暴動で4人の死者が出たとされる。また、南部では、13~15日にかけてビンズオン省を中心に反中デモが激化。日系も含めて近隣の工場は操業停止に追い込まれた。南部全体での逮捕者は約1000人にも上った。
一連の動きに対して中国政府は、ベトナム国内の中国企業で働いている中国人ら約3000人を帰国させたと発表。
中国人4人が死亡したとされるハティン省にはチャーター機を派遣し、負傷した中国人らを本国に送還した。また、ベトナム在住の中国人を帰国させるため、さらに艦船5隻を現地に派遣することを決めたと報道されている。
こうしたデモは一部地域で限定的に発生したものであり、かつ現在は沈静化している。ベトナム政府の取り締まりも厳格で、ベトナム全土に反中国の炎が広がっているような状況では決してない。
国内はいつもの通り南国的な平和な日常に戻りつつある。このまま沈静化することを願いたい。
中国による西沙諸島実効支配の歴史
反中デモは盛んに報道されているが、そもそも西沙諸島をめぐる中越の歴史的な紛争の経緯があまり伝えられていないようなので、事実関係を簡潔に整理しておく。
今回問題となっている西沙諸島は、フランスの植民地時代から開発された地域だ。フランスの撤退後、南ベトナムが西半分を、中国が東半分を各々実効支配した。その後、ベトナム戦争終了直前の1974年、弱体化した南ベトナムが実効支配していた西半分を中国軍がどさくさに紛れて攻撃して、西沙諸島全域を支配下に収めた。