今からちょうど60年前の5月1日、報道写真家ロバート・キャパは日本でメーデーの取材をしていた。
そして、グラフ誌「LIFE」からの依頼を受け、羽田から向かったインドシナの地で、2週間後、地雷を踏み、40年の生涯を閉じた。
東京都写真美術館で公開中、ロバート・キャパ作品展
おそらく世界で一番その名を知られた戦場カメラマン、ロバート・キャパの作品展「101年目のロバート・キャパ 誰もがボブに憧れた」が、現在、東京都写真美術館で開催中である。
5つの戦争を取材した男、キャパの写真は忘れられゆく戦いに翻弄された人々の生の姿を浮き彫りにする。
1913年、ユダヤ系ハンガリー人アンドレ・フリードマンとしてブダペストに生まれたキャパは、世界恐慌下の1931年、ホルティ・ミクローシュの圧政に苦しむ祖国を後にした。そして、たどり着いたベルリンの地で得たコペンハーゲンでのレフ・トロツキーの取材が、フォトジャーナリストとしてのキャリアの始まりだった。
1933年、ナチス政権が成立、その地も後にすることになるが、隣国フランスの都パリで、公私にわたるパートナー、ゲルダという存在を得、「アンドレ・フリードマン」は米国人のような名前の報道写真家「ロバート・キャパ」として新たなるスタートを切った。
その頃、さらなる隣国スペインでは、左右対立が激化していた。そんななか、1936年2月、人民戦線派が選挙に勝利。危機感を高めた右派は、7月、フランシス・フランコ将軍らによる反乱軍が軍事クーデターを決行する。しかし、直ちに全土を掌握できず、内戦へと突入していくのだ。
この時、スペインは「人民オリンピック」開催直前だった。8月から始まるベルリンオリンピックを「ファシストの宣伝の場」と非難しボイコット、代替大会を予定していたのである。
しかし中止。すでに20カ国以上から集まっていた選手のなかから、人民戦線の義勇軍に参加する者が出ることになる。
ケン・ローチ監督作『大地と自由』(1995)は、そんな時代に、英国リバプールで共産党集会に参加した失業中の若者が、呼びかけに応じるように内戦に参加していく物語。そんな若者同様、ジョージ・オーウェル、アーネスト・ヘミングウェイといった小説家たちも、スペインへと向かった。キャパもゲルダも。