福島第一原発事故の放射能汚染からの避難生活を続ける「原発難民」を訪問した報告の4回目である。前回に続いて、原発から約20キロの南相馬市から車で4時間も離れた山形市に避難している渡辺理明さん(43)一家を訪ねた話を書く。私が知っているだけでも4回の転居をした。「円形脱毛症になった」「病気で入院した」「高校生の長男が部活でいじめにあった」と気がかりな知らせがあった。一体何があったのか。

 前回、渡辺さんが大量に下血して救急車で運ばれた話を書いた。事故から3年の間にもう10回以上渡辺さんを訪ねているが、そうした不調を渡辺さんは遠慮して話さなかった。いつもニコニコしながら大きな声で「元気ですよ!」「大丈夫です!」と言っていた。今回の取材で、渡辺さんがここまで心身ともに疲労しているかを初めて知り、私も驚いた。

 聞けば、山形県寒河江市から山形市に転居したのも、体の異変が原因だという。また万一の事態になった場合に備えて、医師に診断書を書いてもらい、大学病院に近い場所に引っ越したのだと言う。それで納得した。前々回取り上げた石谷さんは、避難先の山形県飯豊町で借りた住宅から県内で福島県に近い場所への引っ越しをしたかったが認められなかったため、故郷に近い福島市に転居した(福島県は「県内に戻るなら」という条件で避難住宅の家賃補助を継続している)。

 「1つ不安定になると、次から次へと不安定になって・・・もう訳が分からないですよ」

 新しく借りたアパートの居間で、渡辺さんはそう言った。顔色が悪い。ずっと元気満々だった渡辺さんが、ひどく疲れて見えた。

転校してもう一度新入生からやり直し

 もう1つ不安定になったのは、長男が山形で高校を転校したことだ。

 長男君は野球選手だ。避難先の山形県で野球の盛んな私立高校に入学して寮に入った。ポジションはピッチャーである。少年野球のコーチや監督をしていた父の影響だろうか、野球はずっと得意だった。1年生27人のキャプテンになった。

 「野球をやっていたおかげで、避難先でもうまくとけ込めて、よかった」

 渡辺さんがそう言って喜ぶのを私も聞いていた。