アベノミクスの失速がはっきりしてきた。その唯一の成果だった株価が年初を最高値として下がり続けているばかりでなく、成長率は大幅に下がり、貿易赤字は拡大した。機械受注も景気動向指数も下がった。

 家計消費は消費増税の駆け込みで増えたが、それも増税後は反動で大幅減になるだろう。実体経済を改善しないで「輪転機ぐるぐる」で成長するというアベノミクスが、もともと錯覚だったのだ。

 これに対して「もう成長なんか無理なんだからゼロ成長でいい」と言う人がいる。東京都知事選挙では、細川護煕元首相は「脱成長」を唱えた。確かに資産25億円の彼にはもう成長なんかいらないだろうが、普通の日本人はそれでいいのだろうか?

「脱成長」は経済的な自殺行為

 高齢化に伴って、かつて世界一高かった家計貯蓄率はほぼゼロになり、まもなくマイナスになる。特に60歳以上が金融資産の65%を保有しているが、この世代の無職世帯の貯蓄率は-30%で、これから金融資産を大量に取り崩す。

 企業がまだ貯蓄超過になっているが、これも経常収支が赤字になると減少してゆく。マクロ経済的には、経常収支が赤字になるということは「純貯蓄 < 財政赤字」つまり財政赤字で金融資産を取り崩すということだ。

 日本の財政赤字は毎年約50兆円と大きいため、個人金融資産を取り崩してきたが、経常収支が一定のバッファになっていた。それがなくなると、あと数年で政府債務を国内でファイナンスできなくなる。外債を募集することになると金利が上がり、財政が不安定化する。

 今後の高齢化を考えると、この傾向が逆転することは考えられない。鈴木亘氏の推計によれば、今の社会保障制度のままだと2025年に国民負担率は50%を超え、2050年には70%に達する。国民所得(純所得)が年率1%程度は成長すると仮定しても、可処分所得は絶対的に減り、図のように2050年には現在のほぼ半分になる。

国民所得と負担の予測(出所:鈴木亘『社会保障亡国論』)

 2050年には人口は1億人を割るので、1人あたり可処分所得は現在の7割になる。受益者(政府部門)の所得は増えるので、経済全体としてはゼロサムだが、巨額の所得移転が行われて労働意欲が落ち、マイナス成長になる可能性もある。

 だから急速に高齢化する日本で「脱成長」を目指すのは、経済的な自殺行為である。もちろん1%成長を目指したからといって実現するとは限らないが、最初からゼロ成長を目指すと、可処分所得が激減する。