ドイツが帝国としてまとまったのは1871年のことで、それまではプロイセン、バイエルンなど、多くの領邦が群雄割拠していた。各領邦は皆それぞれロシアと微妙な関係を保っており、ロマノフ王朝300年の歴史のあいだ、多くの婚姻関係が成立している。

 私の住むシュトゥットガルト地方は、ヴュルテンベルク国といって、南ドイツのかなり力のある国であったが、このヴュルテンベルク国とロシアのロマノフ王朝の間にも、5人のお姫様が行ったり来たりした。

ドイツからロシアへ、ロシアからドイツへ嫁いだ姫たち

 その5人のお姫様の生涯を取り上げた展覧会が、シュトゥットガルトの州立博物館で、去年の10月より3月23日まで開かれていた。もちろん、展覧会の開催にはロシア政府の協力が大きかったようで、ロマノフ王朝にちなんだ宝物がこれほどたくさんロシアから外国に出たのは初めてだったという。

マリア・フョードロヴナ

 マリア・フョードロヴナ(1759 ‐ 1828)は、ヴュルテンベルク大公の娘として生まれ、17歳でロシアの皇太子パーヴェルに嫁いだ。

 もっともこの結婚は一筋縄ではいっていない。マリアは14歳ですでにお妃候補として名前が挙がっていたのだが、皇太子は違うドイツのお姫様と結婚し、マリアはその姫の兄と婚約した。

 ところが、ロシアに嫁いだ姫がまもなく亡くなり、その代わりとして再びマリアが浮上。結局、ロシア側がマリアの婚約者に多額の慰謝料を払って婚約を解消させ、マリアはロマノフ家に嫁いだ。義母は女帝のエカチェリーナ2世、やはりドイツ出身だ。

 マリアに初めて会った女帝は彼女をとても気に入り、「妖精のように細く、白百合のように色が白く、バラ色の頬としみ一つない肌をしている。その立ち居振る舞いは優雅さと善良さと正義感を醸し出す」とべた褒めだった。

 展覧会で見たマリアの肖像画は、宮廷画家が女帝の言葉に忠実にと念じながら描いたのではないかと思われるほどの美しさだ。

 もっとも、当時の王族や貴族の結婚の常として、この結婚も遠大なプランに従った政略結婚であった。女帝エカチェリーナはヨーロッパとの関係強化を望んでいた。つまり、花嫁を通じて、ヨーロッパでの発言権を強くしようと目論んでいたのだ。