新年に韓国の東南部にある韓国第3の都市、釜山へ行ってきた。プサンと言えば、長い砂浜の海雲台(ヘウンデ)やコンテナが集まる釜山港などが有名だが、今では海にかかる長い広安大橋や摩天楼のセンタムシティなど、海を臨む摩天楼も有名である。

朝鮮戦争の難民たちがつくった甘川文化村

釜山の観光名所となった甘川村

 だが、筆者は近年町おこしに成功した「甘川(カムチョン)文化村」に興味があった。最近、若者やカメラマンたちが集まる場所として有名になっている。

 また、昨年12月「民官協力フォーラム」主催、安全行政部(部は省に当たる)後援で行われた「2013民官協力優秀事例公募大会」で、甘川文化村は大賞である大統領賞を受賞した。

 もともと甘川洞は、1950年代に太極道という信仰の信者たちや朝鮮戦争(1950~53年)の難民たちが山岸に集まって形成したバラック村であった。

 日本では丘の上の家と言うと幸せの象徴のように聞こえるかもしれないが、韓国で丘の上の村(ダルトンネ)と言うと貧しい村という意味になる。

 ちなみにダルは月、トンネとは村や町のことだ。ダルトンネは、直訳すると月に近い村、つまり丘の上の村ということになる。

 甘川もこのように貧民たちがその場しのぎの掘立小屋を建て、お金を稼いだ人たちはどんどん村から離れてしまう不便で小汚い場所であった。

 だが、今では町全体が明るく色づき、その美しさを観賞するために訪問する観光客が年間で30万人を超す観光地となった。この背景には、地場のアーチストや村の住人たちが集まって始めた「マウル(村)美術プロジェクト」があった。

 甘川文化村は韓国のサントリーニとかマチュピチュと呼ばれている。筆者はこうした韓国の何々と名づけるのには反対である。なぜなら途端にオリジナリティがなくなってしまうからだ。

 せっかく戦争の痛みや太極道という独自のストーリーがあるのに、サントリーニとマチュピチュでは個性が感じられない。