「20世紀モンゴル文学、評価と教訓」は2013年8月15~16日、モンゴル国の首都ウランバートルで行われた会議である。

 モンゴル科学アカデミーや国際モンゴル学会、モンゴル国立大学などが組織したこの会議には開催国のモンゴル国をはじめ、中国の内モンゴルのモンゴル人、ロシアのモンゴル系民族ブリヤート人、その他、日本から文学やその周辺の研究領域の研究者、40~50人が参加し、議論が戦わされた。

それぞれの国ごとに発展してきたモンゴル文学

内モンゴルで出たモンゴル文字のボヤンネメフ全集

 総人口1000万に満たないモンゴル系諸語の話者に向けられた文学は、その規模の小ささや国や地域で分断された歴史から、日本文学では想像できないような特徴を持つ。

 今回はモンゴル諸族の文学についての現状、この会議に参加しての印象、雑感を述べてみたいと思う。

 今回行われた会議はモンゴル国だけでなく、内モンゴルや、ロシアのブリヤート人(そして日本人)も参加している。ということからすれば、国境を越えたモンゴル民族の文学を対象にしているように見える。

 しかし、上記会議での発表に見える文学の時代区分に関する議論などを見ると、内モンゴルの文学史では文化大革命に関する言及があり、つまり、中国の文学史とは切り離せず、ブリヤートに関しては、ロシア文学の時代区分に縛られ、独立しているモンゴル国の文学の時代区分とは一致しないものになっている。

 つまるところ、20世紀の文学の歴史は国境を越えず、それぞれの国家史に回収されているように見えた。

 ここから見えるのは、20世紀の現代文学の歴史に関して言えば、内モンゴルには内モンゴル文学史があり、ロシアにいるモンゴル系のブリヤート人やカルムイク人にはそれぞれ別個の文学史が存在し、それぞれがあたかも交流を持たなかったかのように歴史が書かれているということである。

 その分断されたものを振り返って評価するということになると、非常に複雑になるのではないかと考えたりするのだが、ある程度共通の言語(ある専門家に言わせると、ブリヤート語は全部理解できないということもあるようだ)で、何事もないように行われた。

 個別であることを強調しすぎたが、歴史上には国境を越えて活躍した作家は存在する。

 ソドノムバルジリーン・ボヤンネメフ(1902-1937)がまずその筆頭に挙げられる人物であるが、彼は1902年、現在のモンゴル国に生まれ、35年の短い人生の一時期を内モンゴルとブリヤートでも過ごした。

 内モンゴルでは雑誌の編集者として働き、ブリヤートではモンゴル語の教師もし、ブリヤートの文学雑誌に作品を発表、ロシア語とモンゴル語の辞書の編集にも従事した。このような経緯から現在は3つの国に分断されたいずれの地域にもそれなりの足跡を残している。

 ただし、ブリヤート文学史においては、その活躍は無視されている。それは彼がブリヤート人ではないからのようである。