エイベックスの社長、松浦勝人氏の「こんな僕さえ富裕層と言われるならば」で始まるフェイスブックの文章が話題になっています。成功して金持ちになっても、55%を税金として持っていかれることや相続税が高いことを嘆いておられます。
「僕としては、税金は個人の所得報酬に対して50%という国との折半が我慢の限界だった」とおっしゃるところから察するに、江戸時代の五公五民(所得に対し、5割を年貢に、5割を民=稼いだ人=のものにすること。四公六民の時代から増税されて一揆が増えたことで有名)を念頭に置いて発言されているのかもしれません。そう考えると、なるほどとも思うのですが、違和感もあります。
東京商工リサーチによれば、松浦氏は2012年に4億5100万円の役員報酬を得ているようですが、4億円から55%税金で持っていかれるよりも、1000万円から30%持っていかれる方が重税感は大きいと思うからです。
例えば年収1200万円(所得控除なし)の場合、所得税は242万円、住民税は132万円程度になり、合計374万円取られますから、税率は30%以上となります。実質所得は800万円を若干超えるくらいにしかなりません。
年収1000万円オーバーというと、サラリーマンでは成功者の部類に入りますが、子供2人大学に行かせれば窮乏する程度でしかありません。税金を引かれても億のカネが残るのと比べたら、重税感はこちらの方が何倍も大きいのではないでしょうか。
際限なく物欲を追求したローマの貴族
<見事に統治される共和国においては、国庫は豊かであって、市民は貧しくなければならない。>
(『ディスコルシ 「ローマ史」論』、ニッコロ・マキァヴェッリ著、永井三明訳、ちくま学芸文庫)
よく知られているように、マキァヴェッリは人間の限界について冷徹に見据えていました。上記の台詞の前に、マキァヴェッリは「人間は逆境に陥ると悩む、そのくせ万事順調にいっても退屈する」という古の賢者の言葉を引用し、人間は逆境を打開するためやむを得ずの場合だけでなく、どんなに満たされてもさらに満たされようと野心にかられて戦いを挑むものだとします。
そして、上記の台詞の後に、共和制ローマ崩壊は、貴族と平民の野心の激突から発生したことを説明していきます。