以前、2011年まで連載をしていた本コラム「東奔西走」に、2年ぶりに書かせていただくことになった。私のコラムを初めてお読みいただく方もいることと思う。
連載休止前の1つ前の、2011年1月11日の記事(「2011年、戦後最大の経済危機が訪れる 3月危機を乗り切れるかが第1関門、次は6月・・・」)は私にとって忘れられない記事になった。当時、年間100万ページビューがあったと聞いており、私自身その反響の大きさに驚いている。
その記事を再び読んでみて、私は言い知れない複雑な思いを抱いた。なぜなら、その記事で語った経済危機に関する警告は、読み返せばまさに、2カ月後の東日本大震災に対する警告書にもなっていたからだ。
その前年に出した著書『ジャパン・ショック』では、私は大津波と大洪水が来る場面をリアルに記していた。さらに、その頃に大津波の夢を見たことが思い出され、やはりそのときに私は「大きな危機が今年、3月くらいに来る」ということを感じ取っていた。
書いた当時、その「危機」とは、国債の暴落からの経済危機を意味していたのだが、私の中では、自問が始まっていた。
「もし国債暴落が起きても、日銀がベン・バーナンキ議長のFRB(米連邦準備制度理事会)のように、金融機関から国債を買い上げてしまえば、危機は終わる。でも、白川方明総裁は決断できないだろう」
「そう考えると、国債暴落に最も弱いポイントは郵貯だ。その時は、政府が『国債買い上げ機構』を作って、郵貯などの金融機関から簿価で国債を買えば危機は終わる。第2次大戦直後にFRBが実行した手段だ。日本は債権大国だから実行可能だ。しかし、国債暴落危機は人間の力で解決可能だ。人間の力では防げない大津波や大洪水とは違う。では大津波の夢の示す危機とは何だろう」
答えは出なかった。
そして、2カ月後の3月11日が来た。その日の朝、シャワーを浴びているときに、「今晩はこのシャワーは出ない」。とふと思ったことを今も鮮明に覚えている。
午後2時46分から始まって長時間続く揺れに、初対面の客人と事務所の机の下に一緒に隠れた。映像がネットに流れ出した。何度も夢に見た大津波が、現実に巨大な壁のように船も家も町のすべてを押し流している。夜になって、オフィスから歩いて帰宅したが、シャワーは出なかった。
さらに、原発のメルトダウンから生まれた放射能は、広大な大地を覆い尽くし、福島の方々は戻ることもできなくなった。これが現代の大洪水なのだろうか。今も私の中に残っている大きな謎だ。