人は誰しも物事に慣れてしまうと、それを軽んじたり大切に思わなくなったりするものです。でも、何であれ最初の最初に触れたときの感じ方というのは、そのあと長くその人の中に残り、ときには大きな力になることもある。そんな気がするのです。
初めてチェロに触れた頃
例えば、子供の頃、最初にチェロという楽器に触れた瞬間のことを覚えています。子供と言っても中学生で、その頃、チェロを習ってみたかった。
私は3歳から6歳まで、家の近所の音楽教室に通ってピアノやソルフェージュの基礎を習ったのですが、父が末期の肺がんと分かって家も都下に移り、小学校1年の終わりに父が亡くなって以降、卒業まで音楽のレッスンと遠ざかっていました。
この頃やっておけば楽だったのに、と思うことが、今でも山のようにあります。
でもその、好き勝手に音楽を考えていた途中の小学校4~5年頃から音楽が本当に好きになりました。父の遺品で家にあったベートーベンやチャイコフスキーのレコードを聴き漁り、また学期末に成績が良かったら1枚、2枚と買ってもらえたベルリオーズやリヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲をバカのように繰り返して聴きました。
同じ頃、小学校のクラスで「音楽係」として学年全体の合唱を指揮した経験は決定的でした。我流でオーケストラ音楽作曲の真似事を始め、志望の中学に受かったらチェロを習いたいと親に談判していたのです。
幸い受験には合格したので、晴れてチェロを習えることになりました。
でも、「チェロをやりたい!」と切望しながら、小学生の私は同時に、「あんなもの、簡単に音が出るとはとうてい思えない」とも、どこかで想像で感じてもいたのです。
ついに親に連れていってもらった楽器店で初めてチェロに触れ、我流で楽器を構え、やはり持ち方が分からないまま弓を持って一番低い弦に毛の部分をあててみた・・・。
恐る恐る弾いてみると・・・。音が出ました。思ったよりはるかに充実した、低いドの音が、両膝で挟んだ楽器全体を鳴らして、自分の懐で響いている。