1999年8月2日のことだったと思います。突然大学に呼び出された私は、これから新設する部署に音楽の研究室を作るので、その助教授に就任しないかというお誘いを受けました。

 いろいろお話を伺って、ありがたいことだと思いましたので必要な書類を整え、10月14日だったと思いますが人事が内定しました。東京大学作曲指揮研究室が実質的に生まれたのはこの日で、1877年の建学以来東大としては123年目にして、初めての音楽実技研究室が誕生したことになります。

 それから足かけ14年間、このラボラトリーを率いて仕事をしてきましたが、ごく最近1つ、大きな方向転換をしました。

東大で音楽実技を指導することにした

 1999年以来昨年まで、私は音楽の実技は東大では教えない、と決めていました。なぜなら、入学試験に実技がないからです。ピアノ、ソルフェージュ、和声など音楽の基礎のない人に高度な内容を教えようとしてもそれは無理というもの。

 実技は東京芸術大学など専門の学校で教え、そうでない内容、むしろ総合大学だからこそできる内容を東大では扱う方が成果が出やすいですから、そのように考えました。

 2000年4月から「東京大学作曲=指揮/情報詩学研究室」として2011年度いっぱいまで丸12年間、干支が一回りする間、一見すると音楽と直結しないようにも見える、様々な仕事に取り組みました。

 一番分かりやすいのは開高健賞を貰った『さよなら、サイレント・ネイビー』(2006)を中心とする、メディア・マインドコントロールとその予防のための脳認知科学の基礎研究でしょう。

 私が世の中でいろいろ原稿の依頼を頂くようになり、いまこの連載を持っているのも、40歳以降こうした幅広のテーマで、物事を基礎から考える論考を公にするようになって以降のことです。

 じゃあ、そういう時期に音楽はどうしていたかと言えば、やはり基礎的な仕事を、地味な作業ですが、こつこつと進めていきました。

 そもそも「さよなら、サイレント・ネイビー」で用いた、島津製作所の脳血流可視化システムf-NIRS(近赤外光吸収による血中酸素濃度測定と、それによる脳機能活性化の画像診断)の技術そのものからして、演奏中の奏者や歌手、指揮者の脳活性をダイレクトに測定する東京芸術大学との取り組みでご縁ができたものにほかなりませんでした。

 でも、結論を先に言ってしまうと、2012年を過渡期として、研究室の舵を大きく切り返すことにしたのです。