選挙で選ばれた自治体の長が、駐留外国軍兵士の性犯罪予防に慰安婦的な対処を推奨するような発言をして、物議をかもしているようです。

 が、あまり直接扱う意味のある話でもないように思われますので、もう少し別の、語るに値する内容の問題を考えてみたいと思います。

初めにアレクサンダーのヘレニズムから考える

 やはり、あまり検討する価値を感じないものながら「軍隊と売春は人類の歴史を古く遡って」云々という与太話も聞こえてきましたが、太古の戦役では略奪・陵辱や皆殺しなどをむしろ検討した方がよいかもしれません。

 ただ、そこから何か歴史的に顧慮に値するものが出てくるかどうかは定かでないようにも思います。

 むしろ、考察に値するケースは別にあります。例えば多くの人がご存じと思うマケドニアのアレクサンダー大王の東征では、ギリシャ人兵士と現地人妻との「結婚・入植」が奨励されることで、ギリシャ文化の東漸が進みました。いわゆる「ヘレニズム」文化の原点です。

 これが行きずりの「街娼」と「ギリシャ人兵士」の間の「エネルギー発散」だけであったなら、絶対にこのようなことは起きません。

 なぜなら、父親側の文化であるギリシャの風物も言葉も文字も、生まれたことすら顧みられないような子供であれば、伝承されることなどあり得ないわけですから。

 兵士と現地妻の交渉で子供が生まれたとしても、生物学的に伝承されるのはDNAの遺伝情報だけですから、もし父親が不在であれば、その祖国の文化も言葉も全く伝わりようがありません。

 ぶっちゃけた話をしますが、私が育った東京西部、立川市と福生市の間に相当するエリアは 米軍基地が至近にあり、夜の商売の女性が米兵との行きずりの交渉の結果としてさまざまな肌の色、目の色、髪の毛の色の子供を生み、育てている現場を目にしました。

 父がガンで早世したあと、ミッションスクールの英語教師だった母が地元の「母子会」の役員として、こうした若いお母さんたち、今で言えば「ヤンママ」の先祖みたいな感じだったかもしれませんが、彼女たちの生活・人生の相談に、よく乗っていたので、つぶさに目にすることが多かった。

 で、肌の色が何色だろうと、目や髪の毛がどんなだろうと、日本の東京で生まれ育てば言葉も習俗も日本人にしか育ちようがないんですね。

 むろん、高度成長末期からオイルショックごろの東京都下ですから、それなりにアメリカナイズされた環境ではありました。でもそれは、日本各地でそうである程度のアメリカナイズであって、決して「ヘレニズム」文化のように、血縁とともに現地にカルチャーが根づいていくというような代物ではなかった。