前回、原発の話題に触れたところ、予想外に多くの方から反響を頂きました。そこでもう1回分、この「脱線」に収拾をつけて、次回にバーディーン・シリーズのまとめ、BCS理論の人事マネジメントというお話をしようと思います。

 2011年3月11日以来のこの2年、いろいろな議論がありました。特に「反原発」「原発推進」という2色にいろ分けした議論をたくさん目にしてきたわけですが、誤解を恐れずあえて記すなら「原発推進」とも「反原発」とも違う、もっと穏当で妥当な第3の道が、結局のところ世界全体の最も常識的で、最もどこでも通用する答えとして、未来を決定していくと思うのです。

 今回はこれについて、少し具体的に考えてみたいと思います。

 「原発推進」という未来はあるか?

 原発を考えるうえで、現実的に最も支配的な要素は、幸か不幸か、「コスト」だと思います。

 一方で、原子力は「安価なエネルギー源」と言う人がいます。あるいは「原子力は結局高くつく」と言う人もいます。

 ナニが違うのか?

 端的に言えば、それは「使用済み核燃料」というものを、どれくらいの時間スパン、どの程度の経済効果を持つ存在として評価するかによって、天と地の差が出てくると思うのです。

 原子力が安価、という人は、使用済み核燃料の処理を旧来程度の比較的低廉な価格と処理で試算して、それでよいと結論づけている人だと思います。

 翻って、いまこんな状態になってしまった日本国内で、使用済み核燃料を、例えばA県の原発からB県の備蓄基地に「移動する」だけ考えても、以前なら社会の目がそちらを向くことはなかったわけですが、今後は全く違うことになるのは火を見るより明らかです。

 使用済み核燃料、あるいは広く放射性物質全般に関して、世の中ははるかにセンシティブ、もっと言うなら、アレルギー体質が強くなっている。これは直接、コストに跳ね返ってくることに留意する必要があると思うのです。

「公害」高度成長期を振り返る

 例えば昭和20~30年代、戦後高度成長期の日本を振り返ってみましょう。いま「使用済み核燃料」を考えていますが、似て非なるものとして「工場排水」を考えれば、何を思い出すでしょうか?

 1956年、熊本県水俣市で最初の「水俣病」の症例が確認されました。いまとなってはあまりにも有名な、チッソが海に捨てていた廃液中の有機水銀の、食物連鎖によるヒト経口摂取による「公害病」の原点がここにあります。

 原因究明に取り組んでいた医師たちの間では、金属化合物が原因となって症状が起きていることは、比較的すぐに分かったようです。