20世紀初頭の1911年、ヨーロッパのど真ん中と言っていいオランダで産声を上げた超伝導現象は、それを追いかけるように解明された量子力学によって、物質の量子性が極限的な形で姿を現したもの、とじきに知れるようになりました。
第1次世界大戦を経て平和を取り戻した欧州は1920~30年代初頭にかけて、様々な人類の夢を実現していきます。量子力学、コンピューターからロボット、テレビ、ロケットそしてジェットコースターに至るまで、この時期つまり「戦間期」に構想され、最初に実現化されたイノベーションが少なくありません。
逆に言うなら、この時期に着想されたアイデアに、戦時中の軍事技術などの集中・・・つまりお金と人材とそのエネルギーの結集・・・が加わって、新しい技術が日の目を見、実際に動く代物になっていったわけです。
一番分かりやすいのは原爆でしょう。あんなものは、ちょっとやそっとのお金や技術の集中ではできません。まさに人類全体が生きるか死ぬか、といった世界大戦の中での集中、コンセントレーションがあって、ああいうものが生まれた。
しかも、またその「核の脅威」そのものが、新たなる「人類全体の存続に関わる問題」として取り沙汰されるようになったわけでした。
そんな核兵器の廃絶、ないし「平和利用」に大きな力となるべく登場したのが「夢の次世代エネルギー源」としての「原子力」、核分裂を熱源とする沸騰水炉による発電技術だったわけですが・・・今度はこの初期型原子炉のリスクが、またしても人類社会に大きな影を投げかけるものになってしまった・・・。
実はこの原稿を書いているのは2013年3月11日なのです。少しだけバーディーンから脱線して、原発の話題に触れたいと思うのです。
核軍縮のケースから見える原発の行方
私たちは、しかしここで、やはり半世紀前の状態を思い出す必要があると私は考えます。1960年代、例えば世界全体、人類全体の存続を危機に陥れかけたキューバ危機のあと、国際社会の大勢は核不拡散や核軍縮の方向にしっかりまとまることができました。
あれから50年、いまもって初期型の原子爆弾の製造成功や、それをやはり初期型の弾道弾として発射できることを誇示し、これを外交カードに使ってある種の延命や効果を狙う、悲しく情けない国が存在しないわけではありません。
しかし、全人類が瞬殺の核戦争で大規模に滅亡させ合うという事態は、まずもって回避されたと見てもかまわないと私は思います。同様にエネルギー源を大きく見直せば、自ずと見えてくる答えがあると思います。
例えば2050年、あるいは2100年という時期を考えてみましょう・・・たぶん、このどちらの時期にも、現在のような沸騰水型の原子炉は残存していると思います。すべての原子炉が稼働をやめていると思わない方が、尤度(ゆうど)の高い予想ができるでしょう。