安倍晋三首相がTPP(環太平洋経済連携協定)への交渉参加を表明した。

 アメリカが強く求めているTPPへの日本の参加は、もともと時間の問題であった。報道によれば、安倍首相が麻生太郎外相と事前に相談した際、麻生氏は「交渉ごとを始めるのに聖域が最初からないなんてあり得ない」「うまくいかなければ途中でやめればいい。外交交渉とはそんなもんです」と語ったという。

 前者については、麻生氏の言う通りであろう。だが途中でやめるなどということは、アメリカとの関係を考えれば無理筋であることは明瞭だ。

 安倍首相は、交渉参加を表明した際、「普遍的価値を共有する国々と経済的な相互依存関係を深めていくことは、我が国の安全保障にもアジア太平洋地域の安定にも大きく寄与する」と述べている。ここまでの位置づけをしたTPP交渉からの離脱はあり得ないだろう。日本はTPP参加に向かって走り出したのである。

日本は本当に「主権」を回復したのか

 安倍内閣はまた、4月28日を「主権回復の日」とすることを決めた。1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約(以下「サ条約」)によって、日本が独立を回復した日だからというのが、その理由だ。

 だが61年前、日本は本当に独立を成し遂げ、主権を回復したのであろうか。もちろんその後、国連にも加盟でき、形の上では独立国になった。しかし、サ条約2条C項によって、本来、日本の領土であった国後島、択捉島を含む千島列島に対するすべての権利、権原を放棄させられた。また同3条によって、沖縄はアメリカの信託統治下に置かれることになった。

 沖縄の施政権が日本に返還されたのは、1972年5月5日のことだった。国後島、択捉島など千島列島は、いまだにロシアの支配下にある。

 サ条約調印と同時に日米間で締結されたのが旧日米安保条約と日米行政協定である。これは占領軍の中心だった米軍を引き続き日本に駐留させる取り決めであった。

 だからこそ1955年に保守合同によって結党された自民党は、「党の政綱」で「六、独立体制の整備」という章を立て、<平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。>としていた。