菅内閣の閣僚名簿を発表、11人は再任

菅政権の要、仙谷官房長官(参考写真)〔AFPBB News

 2010年6月8日、民主、国民新両党の連立による菅内閣が発足した。首相・菅直人は「脱小沢」の姿勢を鮮明にし、世論の支持を得てまずは上々のスタートを切った。閣僚・民主党役員人事では官房長官・仙谷由人、幹事長・枝野幸男と、がっちり「反小沢系」で要職を固めたことが今回の人事の全てである。鳩山前政権で民主党に吹き荒れていた逆風は、新政権の発足で追い風に変わった。(敬称略)

 7月11日投開票の参院選が迫ってきた。大きな失策がなければ、まず民主党の負けはない。改選議席で第1党となり、参院での単独過半数獲得も可能かもしれない。前幹事長・小沢一郎がいくら9月の代表選でリベンジを図ろうとも、余程のことがない限り、菅の代表続投は揺るがないだろう。

 片や自民党は谷垣執行部のまま奈落の底に沈む体たらく、体制刷新を余儀なくされよう。鳩山政権のままならば参院選での与党過半数阻止も実現可能だったが、参院選直前の「鳩山―小沢」のツートップ辞任は自民党にとって悪夢となっている。

「脱小沢」の象徴、前政権が廃止した政調の復活

菅新首相への支持66.7%、JNN調査

民主党政調を復活させた菅首相(参考写真)〔AFPBB News

 「脱小沢」の徹底が菅の絶大な人気を呼んでいる。2010年正月、小沢邸での新年会で親小沢系議員とともに「万歳三唱」した菅はどこへやら。ここはしっかり、「脱小沢」で民主党への信頼回復が最優先と割り切ったようだ。

 菅の民主党代表選出に当たり忘れてはならないのは、鳩山政権時代に小沢が廃止した党政策調査会(政調)の復活。政調復活は「脱小沢」の象徴となる。

 小沢は「政策決定の内閣一元化」の名の下に政調を廃止し、幹事長室に党の権限が集中する仕組みをつくった。これは当時、国家戦略担当相と党政調会長を兼務する菅に政策決定権限が集中する事態の阻止が大きな狙いだった。恐らく鳩山―小沢と財務省の思惑が一致したのだろう。

 政調廃止で菅は党内の足場と政策決定権を喪失。その後、国家戦略室も骨抜きにされ、国家戦略相・菅は一時、閣僚として存在感をほとんど発揮できなかった。

 政調なき民主党は「小沢独裁」が進み、地方や企業・団体の陳情は幹事長室に一元化された。小沢は密室で全国の情報を独占し、選挙対策にも利用。党側は露骨に自治体や業界団体に選挙への協力を求め、党の意向に従わない自治体・団体の予算をカットした。

 典型的な利益誘導と恫喝であり、民主党に対する反発の声も強まった。鳩山政権で党が信用と信頼をなくしたのは、このような小沢手法に「昔の自民党政治と変わらないじゃないか」と有権者が反発したからでもある。

3月以降、勢力が急拡大していた「反小沢系」

 一方、政府に役職のない民主党議員は政策決定に関与できず、不満を強めていた。「反小沢」系の生方幸夫、安住淳らは3月4日、党内に「政調の設置を目指す会」を結成。初会合には衆参両院議員41人が出席した。その後、反小沢系の玄葉光一郎が5月26日、消費税率引き上げなどを検討する勉強会「国家財政を考える会」の初会合を開くと、同党の衆参議員115人が参加した。

 いずれも小沢路線に異を唱える勉強会。鳩山内閣の支持率が急落する中、反小沢系が勢力を伸ばしてきた事実は参加者の人数からも分かる。