建物に表示されている外気温は「−18度」を示していた。今から3年とちょっと前、2009年12月12日のことだ。

 冷たく吹き付ける風が、耳をちぎってしまうのではないかと思うほど凍てつく寒さの中、私は1人ソウルの中心地である鐘閣駅から明洞方面に向け、理由もなく一歩一歩ただ歩いていた。

起業の原点になった26歳の冬、韓国での経験

 街はすっかり近づいたクリスマスモードに包まれ、すれ違うカップル・家族連れが楽しそうに通りすぎていく。

 それを横目に私は「これで良かったんだ」と心のなかで呟いた。

鐘閣駅から明洞方面へと向かう道。韓国の冬の寒さは厳しく、マイナス10度を下回る日もざらだ。ここでの一からの経験がフィリピンでの起業へと導いた(筆者撮影、以下同)

 暖かそうなコートに身を包んだショップ店員が韓国語で何かしら声をかけてきて店に誘導してくるのだが、何を言っているのか全く分からない。

 ふと気づくとお腹が空いてきたので、適当にのり巻き屋らしき所に入ってみた。

 ほっと一息つき壁を見上げると、そこにはハングル文字で何かが書かれているのだが、韓国語が全くできない私にはただの記号にしか見えない。

 結局何がどの食べ物なのかも分からず、とにかく写真に写っているものを指し注文をした。すると何やら怒ったような口調で勢い良く食堂のアジュンマ(おばさん)が話してくるのだが、全く理解できないのでとりあえず「OK、OK」とだけ言った。

 少しして1人では食べきれないほどの食事が色々と運ばれてきた。きっとアジュンマは「あんた1人では食べきれないよ」とでも言っていたのだろう。

 とにかく食事を済ませ、ほどなくして会計を済ませようとすると7000ウォン(当時約550円くらい)だと言われた。ポケットからまだ空港で替えたばかりの5万ウォン札を出すと、急に嫌な顔をされ何やらもっと小さいお札はないのかと言っている。

 申し訳ないがこれしかないとジェスチャーで伝えると、「チッ」と舌打ちをされた。間違いなくアジュンマは私の顔を見て舌打ちをしたのだ。

 もしここが日本の食堂であれば私もクレームの一つでもつけたであろう。客に向かって何を舌打ちしてるんだと。しかしここはすでに日本ではないのだ。そして言葉も全く分からないので文句の一つも言えない。まぁいいやと店の外に出る。

 外はいつの間にか雪が降りだしていたが、また歩き始めた。不思議と怒りの気持ちがなく、むしろ心は昂り興奮していた。日本を離れ海外で初めて生活をする私にとって、見るもの、体験する何もかもが新鮮に映った。

 言葉も通じないここでとりあえずどうやって生きていこうか・・・。先が見えない未来に不安よりもワクワクする思いが先行していた。26歳の冬の出来事であった。