東工大で学生運動の闘士 → 特許事務所就職 → 弁理士合格 → 「麻雀得点計算機」発明 → 市民運動家 → 社会市民連合 → 3度の落選 → 社会民主連合で衆院初当選 → 新党さきがけ政調会長 → 厚相(薬害エイズ問題を徹底究明) → 民主党結党・初代代表 → 鳩山政権で副総理兼国家戦略担当相 → 同財務相 → 第94代内閣総理大臣

民主、菅氏を代表に選出

菅直人・第94代内閣総理大臣(参考写真)〔AFPBB News

 鳩山由紀夫前首相、菅直人新首相はともに団塊の世代に属し、新党さきがけから民主党を共同で結党した盟友である。しかし、政界のサラブレッドとして総理大臣の座に上り詰めた鳩山氏に対し、冒頭に紹介したように菅氏は波乱万丈の政治家人生を送ってきた。

 何れも理科系出身という共通点はあるが、大学闘争のリーダーを務めた菅氏は東工大「政治学部」卒業と学友から揶揄されているという。

役人叩きの元祖、廊下まで鳴り響いた菅氏の怒声

 今、渡辺喜美氏の率いるみんなの党が官僚バッシングで支持を集めているが、役人叩きの元祖は菅氏であろう。

 政治部記者の取材手法の1つとして、行儀はよくないが、「カベミミ」がある。国会や議員会館などで開かれる会議には通常、記者は入れない。このため壁に耳を付けて、会話の内容を聴き取ろうと必死になるのだ。

 新党さきがけ政調会長時代の菅氏は、カベミミ記者にとって楽な取材対象だった。壁から離れていても、官僚を怒鳴り上げる声が響いてくるからだ。予算編成の説明に訪れた大蔵省(現財務省)の高官を「どうしていつも君たちは隠すんだ!」と叱り飛ばしていた菅氏の怒声は、筆者の耳の中にしっかりと保存されている。

菅氏は霞が関を評して「制御できないモンスター」(中野哲也撮影)

 菅氏はバブル崩壊後の不況を「中央官庁と都市銀行の共犯関係の中で生み出された」と糾弾し、「東大法学部不況」と名付けた(菅直人『日本 大転換』光文社)。

 そして、霞が関全体を「統帥権独立型の傾向を日々強め、簡単には制御できないモンスター」(同)と呼んでいた。「権力」や「権威」に臆することなく立ち向かう、持ち前の「突破力」で菅氏は永田町を巧みに泳いできたように見える。

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