30歳を過ぎるまでフリーランスの音楽家としてのみ生活の資を得て暮らしていた私が、たまたま体を壊し、暇していても仕方ないので博士の学位を取ったところ、偶然の経緯でいきなり大学というところに招聘してもらいました。今回はその1999年頃のお話から始めたいと思います。

 何とも不思議なところだな・・・と思いました。

 いや、今考えると、そうでもないのだと思いますが、それまで組織というものに属したことが全くなく、常に一匹狼でやってきましたので、実に普通の日本型の組織だったと言えば、それまでなのかもしれませんが・・・。

大学、この不可思議なるもの

 例えば、党派的なのですね、大学というところも日本では大変に・・・。

 海外でもいろいろな党派性のある大学を見ました。先進国には各々それなりの、また途上国にも様々に、問題を抱えているらしい大学を、おいおい見ることになりましたが、日本の大学もまた、国際的な学芸の府という以前に、「極めてローカルな日本の組織、人間の寄り集まりだなぁ」と思いました。

 会議の類は・・・だいたい、おしなべて黙って座っているだけです。とうとうと喋る人がおり、意見を求められても何も言わない・・・。

 いや、私などは、そういうお流儀を知りませんでしたから、意見を求められたら必ず何か建設的なことを言わないと、そこにいる意味がない、次の仕事も来なくなるという、自分が慣れ親しんできた、国際標準フリーランスモードで発言するわけですが、そういうのが「浮いて」見えたに違いない・・・。

 まあ、今から考えると汗顔でもあるのですが、ともかく任官当初(あの頃は国立大学教授職は国家公務員で「任官」でありました)は、TPOがぜんぜん分からず困ったものでした。

 党派性だ、なんだと言うのは、概して3つのものを巡って「陣とりゲーム」をしているのですね。

 大学の陣取りゲームで取りにくいもの上位3つを記すなら「ポスト」「面積」そして「予算」と、こうしたことを手取り足取り教えてくれた某先輩から伝授されました。