「結婚とは何か?」「家庭とは何か?」

 このコラムで、そうした大問題に対して、明確な答えを出そうと思ってはいない。また、家庭を大切にしようとか、子育ての中にこそ真実があるといった旗を掲げて、論陣を張るつもりもない。

 私が「結婚のかたち」でしているのは、男女関係および結婚にまつわるエピソードの羅列である。

 我が家の暮らしぶりを中心に、古今東西の作家たちのエピソードや最近のニュースも交えて、こんな夫婦があった、あんなカップルもいたと、読者にできるだけ沢山の実例を紹介するのが私の目的である。

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 テレビの討論番組を見れば分かるように、対立する双方がそれぞれ意見を述べて、いくら熱心に議論を闘わせてみたところで、物事は一つも先に進まない。

 民主主義の根幹は議論だけれど、小学校の学級会で、その場しのぎの“自分の意見”を発言し、「同じです」とか、「考え中です」といった友達の気のない反応を聞かされてきた我々は、集団の意志を決めるに当たって、議論がさして有効でないことを身をもって知っている。

 民主主義を否定しようというのではない。しかし意見というものは、いかなる問題に対してであれ、バリエーションに乏しい。

 一方、何事につけ、エピソードは豊富である。過去のエピソード=情報が共同体の構成員に共有されていれば、ありきたりの意見を得意気に開陳し合わなくても、人々の考えは自ずとまとまりを得ていくのではないだろうか。

 その意味で民主主義にとっては、議論の内容よりも、いかなる情報がどのように共有されているかの方が重要だと、私は考えている。

 また、ある人の意見が説得力を持つか否かは、自分とは異なる立場の人々が語るエピソードにどれだけ耳を傾けてきたかにかかっていると思う。