ニッケイ新聞 2012年6月14日~16日

 2008年暮のリーマンショックに端を発した金融危機の影響で、日本に住むブラジル人労働者が「派遣切り」に遭い、3分の1にあたる約10万人が帰伯したといわれる。その中には既にブラジルに再適応して根を張ろうとする人、決心がつかずに悩んでいる人、日本に戻りたいと手を尽くしている人など様々なケースがある。

 わずか3年間で10万人が帰伯した未曽有の“民族大移動”である『大量帰伯世代』は、将来的に日系社会やブラジルに大きな影響を与える可能性があると思われる。「日本に戻るのか、ブラジルに定着するのか」。帰伯者らに聞いた。(田中詩穂記者)

(1)「直ぐにでも戻りたい」、現在も残る未練と迷い

平野さん。日本滞在中に取得した整体師の免許を生かし、美容室で働く(1月28日撮影)

 「できれば日本に帰りたい。今からでも同じ会社で雇ってもらえるなら、もう一度働きたいね」

 そう訥々と切ない思いを語るのは、北パラナのロンドリーナ市内にある娘夫婦経営の美容室で、整体師として働く平野アントニオ定一さん(63、二世)だ。

 1995年に訪日して愛知、岐阜で15年間働いた。アルミサッシや建材メーカーの工場でリフトを運転する仕事をする一方、「手に職を」と土日は京都の専門学校に通い、整体師の免許を取得した努力家だ。

 帰伯したのは金融危機が始まった直後の2009年1月。失業したわけではなく、90歳の母親の面倒を見る必要があるという事情からだった。「日本にはできるだけ長く住みたかった」と、かみしめるように言う。

 「治安が良く便利で、町がきれい。仕事が常にあって、給料も良かった」と、日本の良さを挙げはじめればきりがない。

 デカセギ帰りの人の多さが目立つというロンドリーナ。平野さんの周囲には日本政府からの帰国支援で帰ってきたが再訪日を考えている人が少なくないという。平野さんも同地に滞在する必要がなくなれば、直ぐにでも日本に戻りたいとの気持ちが強いようだ。