モンゴルの現在のようなチンギスハン崇拝は日本が作ったものなのではないか。
こんな議論が2012年5月20日に戦わされた。「21世紀のグローバリズムから見たチンギス・ハーンとモンゴル帝国」 と題された会議では、日本の研究者をはじめ、モンゴル国、中国内モンゴル、ロシアのブリヤートから研究者たちが貴重な情報を持ち寄り議論が交わされた。
今回は、この非常に刺激的な会議でなされた議論を中心に、ロシアやモンゴル、中国、日本などでの現在のチンギスハン評価に関してご紹介したい。
チンギスハンの子孫として誇りを持てるようになったモンゴル人
チンギスハンは古くて新しいトピックである。
13世紀には世界を席巻、東部ヨーロッパ各地から日本までを震撼させた帝国を築き上げた人物として、その後は、世界各地に継承国を作った人物として・・・。
チンギスハン統原理と呼ばれる、王になるものはチンギスハンの血を引いたものでなくてはならないという原理を元に、多くの王がチンギスハンの子孫を名乗った。
子孫でなかったとしてもチンギスハンの血を引くものから地位を譲り受けたものという儀礼を経て、皇帝の座に就いたものがいる。また、モンゴル軍が入ることがなかったインドにものちにモンゴルの名を冠してモゴール帝国が建国されている。
現在、モンゴル人はチンギスハンの子孫としての誇りを堂々と名乗ることができている。しかし、ソビエト連邦の衛星国として存在していた20世紀の大半は、ロシア史における「侵略者」としての評価を甘んじて受けざるを得なかった。
民主化以降ナショナリズムの高揚とともに、チンギスハンはユーラシア最大の帝国を築いた人物として評価されるようになった。
歴史学においても再評価がなされている。東洋と西洋をつなぎ、世界史を作り上げたものとして、チンギスハンの功績を称えるものがいる一方で、チンギスハンを冷酷無比な征服者で、文明に全く貢献しなかったとする歴史が書かれ続けているところもある。