サッカーワールドカップ南アフリカ大会の開催を間近に控え、つい先日までフィギュアスケートに集中していたスポーツマスコミの関心はサッカーへと向かっている。
サッカー戦争が実際の戦争に発展
このような国際イベントでは、「頑張れニッポン!」といったナショナリズムを煽るかのような報道がにわかに目立ってくることを懸念する向きもあるが、以前は当たり前のように存在していた映画やラジオ、テレビといったメディアを通した大衆の共有体験がデジタル世代となって同時性を失っている今、一体感を感じ得る数少ないイベントであることも事実だ。
戦争の代替物としてスポーツは存在する、との考えもある。1969年、今回出場を決めた中米、ホンジュラスと隣国エルサルバドルとの間で勃発した「サッカー戦争」は、そんな一体感が暴走して本物の戦争にまで発展してしまった例である。
両国の間で争われたワールドカップ予選時のトラブルから、実際の戦闘行為にまで至ってしまったのだが、その根には以前からくすぶり続けていた両国の国境を巡る争いがあった。
グアテマラからパナマまで、南北に細長く連なる7つの小国は、その裏庭と言われるほどに米国の息がかかった地域である。
しかし、ワールドカップ開催を果たしても、サッカー界の超人気者、デビッド・ベッカムを米国のプロ・リーグに招聘しても全くサッカー人気が出てこない米国とは、スポーツ事情は少々異なる。
サッカーか野球か、世界を色分けすると米国の影響が浮かび上がる
中米を一本道でつなぐパンアメリカン・ハイウェイを走り抜けながら車窓の景色を眺めていると、サッカーをして遊ぶ人たちが数多く見られる。しかし、エルサルバドル、ニカラグアとともにパナマでは草野球をしている姿の方がずっと目につく。
両国の間に挟まるコスタリカでは野球にいそしむ者など全くいないので、大して広くもないこれらの国々の違いとは何だろう、と思ってしまう。
初めにこの地域を支配したスペイン文化と19世紀末から侵入してきた米国文化とのせめぎ合いが、サッカーと野球という市民スポーツの色分けとなって現れているわけで、日韓台湾同様、野球の盛んな国はどこも米国の政治的影響が絶大なる地域ということなのである。
1930年のウルグアイ大会にサッカーワールドカップは始まった。第2回大会は34年、ベニート・ムッソリーニ政権下のイタリアで行われた。