編集長対談シリーズ、第4回目のゲストはダイヤモンド・オンラインの原英次郎編集長。
ダイヤモンド・オンラインはJBpressとウェブインフラ「isMedia(イズメディア)」を共有するメディアの1つで、昨年来、コンスタントに月間2500万超のページビューを記録するなど、業績好調だ。
東洋経済新報社とダイヤモンド社で主要ビジネスメディアの編集経験を持つ原氏と、危機だと分かりながら「変われない」日本人、政治・銀行・マスコミの問題点やネットメディアが果たすべき役割などについて語り合った。
バブル崩壊で経営責任を取らなかった企業経営者に失望
ダイヤモンド・オンライン編集長。1956年生まれ、佐賀県出身。慶応義塾大学経済学部卒。1981年東洋経済新報社に入社。金融、証券、エレクトロニクスなどを担当。95年『月刊金融ビジネス』、2003年4月『東洋経済オンライン』、04年4月『会社四季報』、05年4月『週刊東洋経済』の各編集長などを経て、06年同社を退社。2010年3月ダイヤモンド・オンライン客員論説委員、11年10月から現職。(写真撮影:前田せいめい、以下同)
川嶋 原さんは東洋経済新報社を辞められた後、浪人時代を経てダイヤモンド社に入社されましたが、そういうケースは珍しいですよね?
原 最初にそれを説明する必要がありますね(笑)。
私が東洋経済に入社したのは1981年です。金融系を長く担当し、2006年、ちょうど50歳になる時に会社を辞めました。
川嶋 辞められたのはどういう理由からですか?
原 深い理由はなくて、まずは飽きたと。1つの職業を25年もやると飽きるというか。
川嶋 飽きたんですか(笑)。
原 それだけでは身も蓋もないので、ちょっと格好をつけたことを言わせてもらいましょう(笑)。
私はバブルの崩壊などを編集者として見てきました。当時、経営者は結果責任を取るべきだとみんな言っていた割に、私の記憶では、きちんと責任を取って辞めた人は1人もいなかった。
取材先の人たちにも早く世代交代をしろと主張していたので、自分自身も、若い優秀な人間がいたらバトンタッチしようと思っていました。
また、マスコミの世界から少し離れて、マスコミがどう見えるのかを知りたいという気持ちがありました。次の計画を決めてから辞めると、過去の縁やしがらみ、ものの見方から抜けられないので、何も決めないで、とにかく辞めたんです。
川嶋 何も決めずに辞めたというのはスゴイですね。
原 マスコミとはいっさい縁を切ろうと思い、福祉に若干興味があったので、失業中は介護従業者2級の資格を取りました。