女帝・元明天皇が奈良の地に都を遷して1300年。平城遷都祭がなかなかの賑わいを見せている。各種イベントが催されている平城宮跡には社会科見学の小中学生の姿も数多く見られ、日本の歴史を実感する絶好のチャンスともなっている。

世界でも類まれな歴史を持つ日本

平城宮跡の敷地を分断するように走り抜ける近鉄列車。太古の歴史が現代社会と共存している風景だ

 人気の世界遺産をはじめとして自らの歴史を誇る地は世界中あまたあれど、1000年を超える歴史を当たり前のごとく語れる国は数えるほどしか存在しない。

 単に長いばかりでなく、一系の皇室が125代も続き、実効性については議論があるものの、立憲君主制の下、今も正式な国家元首であり続けているということが、世界でも類を見ない継続する歴史のさなかに我々が生きていることを示している。

 欧米にとって「極東」である日本同様、もう一つの地の果てであるアフリカにも、奈良の都が栄えていた頃、アクスムという王国があった。神話時代も含めれば3000年とも言われる歴史を誇ったエチオピアに栄えた王国の系譜の中でも、強国として名高いものだ。

当時のエチオピア。道端に転落放置されている戦車

 「誇った」と過去形で書きはしたが、最後の皇帝ハイレ・セラシエが飢餓や不安定な社会情勢の責任を負わされてクーデターによって排除され、エチオピアで王国の歴史が途絶してからまだ35年しか経過していない。

 王国が倒れてからも、飢餓と戦乱に彩られた悲惨な状況が続いているが、そんな混乱が一段落ついた2001年春、アクスムの世界一高いと言われるオベリスクを見ようとエチオピア航空国内線に搭乗した時のこと。

アフリカの地で突然聞かれた女系天皇のこと

エチオピア航空の国内線旅客機

 隣に乗り合わせた青年が、私が日本人であることを知ると、挨拶もほどほどに「皇太子妃がご懐妊なさって、女系天皇の是非が論議の的だそうですね」と話し出す。聞けば、そんな情報をBBCあたりから仕入れたのだという。

 とは言え、あまりにディープな日本への興味は一体どこからくるのだろうかとしばし考え、思い浮かんだのが、1931年に持ち上がった日本人女性とエチオピア皇族との結婚話である。

林立するアクスムのオベリスク。世界最大のものは倒壊している

 19世紀に列強が雪崩を打ってアフリカ分割に向かった時、近隣のソマリアを制したイタリアが当然のように仕かけてきた侵略戦争にエチオピアが勝利したことは、欧米列強にショックを与えた。

 何せ、独立維持できていたのは、ほかには米国からの帰還奴隷の地リベリア共和国しかなかったからだ。あきらめきれぬイタリアは時を経てムッソリーニ政権となってから、再度攻撃を仕かけてくる。